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3 エクス・アン・プロヴァンス(Aix-en-Provence) 11月25日(日)
 南仏プロヴァンス地方の首都である。17-18世紀頃に栄えたらしい。人口約14万人。
 町が近づくにつれて、車窓遠くに、冠雪のサント・ヴィクトワール山が見えた。セザンヌが生涯のテーマとして描き続けた山だ。
 ミラボー通り(Cours Mirabeau)というメインストリートでバスを降りた。
 日曜日の午後一番だから賑わっているのは当たり前。カルーセルや観覧車や……、幼い子供連れの家族で賑わっていた。プラタナスの並木がきれいだった。
 セザンヌのアトリエ(Muss Atelier de Paul Cezanne)に入り、2階の作業場を見物した(撮影禁止)
 妙な云い方だが、この画家を好きになろうと努めている。彼が創作に励んだという19世紀後半に、音楽ではこんな作曲家が活躍していた。フランク、サン・サーンス、ビゼー、フォーレ、ダンディ、ドビュッシー、サティ、ラヴェル……。
 今回の旅行を思い立つまでもなく、近代フランスの作曲家を理解しようと考え、極力彼らを聴くようにしていた。比較的素直に聴けるベルリオーズ、サンサーンス、ビゼーらの作品は別として。
 彼らと近しくなったその先にフランスという国の理解が待っているのではないか。勝手な屁理屈をベースに、わが国の風土と何となく隔たりのある、少なくともぼくには肌合いの違う、彼の国に近づいてみたい……、ぼくなりの思い入れだった。
 「乙にすまして、高いプライド、強い自己主張。一方、ウイット、エスプリ」
 セザンヌは同時代の同国作曲家に強い影響をもった(と思っている)。とくにドビュッシー、ラヴェル(らの、印象派と称される作曲家たちに)。美術・音楽の世界で、彼らが当時のフランスを今日に導いて来、日本文化にも影響を及ぼし、日本文化を取り入れもした。ひとくちに「印象派」、フランスの文化を理解するぼくなりの切り口になるかもしれない。第一、音楽鑑賞がより楽しくなる。
 そんな取り止めもない妄想がぼくをしてドビュッシーらを聴くようにし、セザンヌをじっくり見させようとしている。
 セザンヌが30歳手前のとき(1867年)、パリ万博があり、慶喜の弟、徳川昭武を団長とする徳川幕府の使節団がパリに派遣された。若き渋沢栄一が随行員として参加していた。その翌年、日本では明治維新があり、260年に亘る徳川幕府が崩壊した。
<2 ニース 4 アルル>
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