リスボン Lisboa …1 (5月14,15日)
3時を過ぎて、歴史の町エヴォラを出発。大西洋に面するリスボンまで125㌔を2時間かけた。
ホテルの部屋に荷物を置いて、そそくさと『哀愁のファド・ディナーショー』へ。ショーは9時頃開始して、たっぷり2時間。
照明を暗くした舞台で、伝統の舞台衣装という黒いドレスの女性がもの悲しさを含んだアルトで会場を包む。フラメンコギターとギターラという見なれない楽器の伴奏、それに男女2人の民族舞踊が色を添え、哀愁の色濃いショーで楽しませてくれた。
ギターラは胴が円形で、ファドには欠かせない楽器のようだ。マンドラやヴィオラ同様、フラメンコギターより低音の部分を受け持っているのだろうか。
ファドの余韻に浸りながら、午前0時にベッドに潜り込む。長い長い一日がやっと終わった。

…………
15日午前中は、市の中心部からテージョ川沿いに6kmほど西へ下がったベレン地区の記念碑と世界遺産を見物する。16世紀にエンリケ王子の率いるこの国が、勇躍未知の海へ乗り出して、大航海時代の幕開けとしたモニュメントと、当時の名残がここにある。
市内観光は翌16日の「フリータイムを活用してご自由にどうぞ」、ということになっている。
ベレン地区(Belém)に着いて、ベレンの塔→発見のモニュメント→ジェロニモス修道院の順序で見て歩きした。
ベレンの塔 (Torre de Belém)

この石造りの塔、大西洋とテージョ川の境に臨む世界遺産だ。16世紀初めに船の出入りを監視する要塞として建てられたそうで、3階は王族の居室、2階は砲台、1階は水牢とか。
立ち入り許可ではあったが、果たさず。3階のテラスから大西洋の眺めを逸した。
のどかな日和にも恵まれて、塔を取りまく岸辺は釣り人たちで賑わっていた。写真集をご覧あれ。
発見のモニュメント (Padrão dos Descobrimentos)
高さ52mのコンクリート製だ。
1940年、ポルトガルで開催された国際博覧会の象徴として造ったのを、1960年に再度制作し直したもの。
人物はエンリケ王子のほか、同時代の探検家、芸術家・科学者・地図制作者・宣教師ら約30名のポルトガル人とか。
「大航海時代へのロマン思想を表している」とは、Wikipediaのコメント。
ジェロニモス修道院 (Mosteiro dos Jerónimos)
二つの棟があり、16世紀に建てられた東棟と、19世紀に付け加えられた西棟だ。世界遺産のこの修道院、ぼくたちは東棟を内覧した。
エンリケ航海王子の偉業(15世紀)と、ヴァスコ・ダ・ガマのインド航海開拓(15世紀末)を記念して建造されたという。
サンタ・マリア教会を一巡した。ヤシの木を模したといわれる柱は、なるほど大航海時代の名残がある。
壮麗・荘厳は同じでも、これまでのスペインの聖堂よりもっと豪華で明るい見栄えだった。イスラム文化を引きずっていないからだろうか。
中庭に出て振り向くと、回廊のなんと見事なこと。2階建てのアーチで、全長55m。彫刻の精密さに見とれてしまったが、もっと後ろへ行って全体を眺めたら別の感動があったのかもしれない。

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