スペインの北部・東端で、地中海に面し、フランスとの国境が近い。というとぼくの故郷新宮市が浮かぶ。和歌山県南部・東端で、太平洋は熊野灘に面し、三重県との県境だからだ。温暖な気候も似ている。
バルセロナ(Barcelona)といえば、すぐ浮かぶのがアントニ・ガウディのサグラダ・ファミリアだ。人によっては1992年に行われた夏季オリンピックも連想されよう。
カタルーニャ地方最大の都市で、人口約160万人。スペインからの独立運動が盛んと聞く。
この町について、旅行の前の予備知識はこれくらいだった。
シッチェスのホテルから大型バスで、地中海の沿岸コスタ・アズル(Costa Azul、フランス語でコート・ダジュールCōte d'Azur)を30分ほど東へ走り、バルセロナ市街に入る。五月晴れは保証ずみ。
バルセロナは半日だけの観光になっている。それも10時から正午まで。グエル公園とサグラダ・ファミリアの見物だけに終わった。
ガウディの傑作だけを巡っても、他にグエル邸、コロニア・グエル教会とその地下聖堂、カサ・ミラ、カサ・ビセンス……、丸一日、いや二日間はたっぷり楽しめそうだ。そこは先を急ぐツアーの悲しさ、それを承知で参加している。悔しければ自分で旅を計画しなければならないが、もはやその気も経済的ゆとりもない。
2時間で垣間見たガウディ・ワールドの断片を記す。
グエル公園 Parc Güell
1900年から1914年の間に、グエル伯爵とアントニ・ガウディ(Antoni Gaudí)が作った分譲住宅地で、広場や道路などのインフラを整え、60軒が計画されていた。が、結局売れたのは2軒だけ。それも買い手はガウディ本人とグエル伯爵だったというオチがつく。二人の芸術センスと夢は、人々のあこがれとそんなにかけ離れていたのだろうか。
グエル伯爵の没後に市の公園として寄付され、現在はガウディの一時住んだ家が、ガウディ記念館として公開されている。
見晴らしがよい。タイルのベンチに腰かけて、ガウディの傑作と眼下に広がる町並みのアンバランスなマッチングを楽しむ。
ギリシャ劇場と名付けられたテラスへの階段横のトカゲの噴水が大人気だ。いかにもガウディ。大人も子供も見入っている。妻もぼくも。
なんと奇妙なおとぎの国。知らず心が和んでいた。
サグラダ・ファミリア聖堂
Temple Expiatori de la Sagrada Familia
本ツアー目玉の一つであることは疑いの余地がない。
1882年というと130年近く前になるが(2005年現在)、その年3月にこの聖堂が着工され、初代建築家が意見の対立で辞任したため、翌年2代目として任命されたのがアントニ・ガウディ(Antoni
Gaudí)だそうだ。彼は設計を一から練り直す。
以降40数年、ライフワークとして精力を傾けるが、1926年に路面電車にひかれるという不慮の事故で急死する。享年73歳。
その時サグラダ・ファミリアはどんな状態だったか。Wikipediaの叙述を借りる。
北ファサード、イエスの誕生を表す東ファサード、イエスの受難を表す西ファサードや、内陣、身廊などはほぼ完成していたが、イエスの栄光を表すメインファサードと18本建てられるうちの10本の塔が未完成だった。(中略)
かつては完成まで300年はかかると予想されていたが、……公式発表では、ガウディ没後100周年目の2026年に完成するとされている。(2013年現在)
……1984年にユネスコの世界遺産として登録されており、2005年、ぼくたちの旅の間に完成したキリスト生誕の東ファサードの部分も、アントニ・ガウディの作品群として追加登録された。
聖堂内部は工事中で、まだまだ礼拝が行われるたたずまいではない。隅っこの狭い通路を歩いて、ひと渡り様子をこの目で見た。
アントニ・ガウディとは? ここもWikipediaの叙述を参考に、メモっておく。
1852年にバルセロナ南西の町に銅板機具職の子として生まれ、73歳の1926年、不慮の事故でなくなったことは前述のとおり。
16歳でバルセロナ県立建築専門学校予科に入学、苦学して卒業。
内装・装飾の仕事に携わっている間に、バルセロナを代表する資本家アウゼビ・グエルと出会う。
以降、グエル伯爵の斬新な計画を次々と実現していく。 グエル邸、グエル公園、コロニア・グエル教会……。
1883年、サグラダ・ファミリア聖堂の主任建築家に任命されたことも上で述べた。以来この工事に40年以上を費やし、1917年からは他のいっさいの仕事を断ってこれに専念したという。
1926年6月7日夕刻、バルセロナ市内で路面電車にはねられる。学生時代はダンディで有名だった彼も、まるで浮浪者のような格好だったために病院に収容されるのが遅れたという。そして10日午後5時、市内サンタ・クルース病院で死去。
遺体はサグラダ・ファミリア聖堂に埋葬された。(Wikipedia)
聖堂を出て広場に立つと、歪んだ塔の群れがそびえている。あお向けの首がしんどくなるのを忘れて、いつまでも眺める。よく見ると各塔の彫刻たるや、圧巻!
偉大なる建築家の遺志を受け継いで、100年近くに及ぶ大作業だ。それがまだ完成への途上とは。
〝ガウディが感心するような聖堂を〟、建築家・芸術家それぞれのそんな息吹が圧倒感を持って伝わった。
あと1日か2日許されれば、ということで一つメモしておく。
スペインが生んだ20世紀の美術家3人ゆかりの地がバルセロナだ。ピカソ、ミロ、ダリ。それぞれの美術館があり、傑作が展示されているよし。
3館回ると半日、いや一日仕事になりそうだ。しかしなんと豪華で心豊かな一日であろう。
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