ブダペスト二題と旅のエピソード。

1.ヴァーツィ通りとジェルボー (ブダペスト)

 帰国を翌日に控えて、ツアー8日目(11月22日)午後はフリータイム。昼食後近くのテアーク・フェレンツ広場で解散して、5時半そこに戻るまでの4時間、近場で比較的有効に過ごせた。
 ドナウ河畔をしばらく散歩したあと、ヴァーツィ通りでウィンドーショッピング、それにジェルボー。
 喫茶店ジェルボー(Gerbeaud)は、ヴァーツィ通り(Vaci u.)の起点ヴルシュマルティ広場の一角にある。朝からガイドが強く奨めていた。

 広場から西へ500mほどのヴァーツィ通りは歩行者天国だ。ジェルボーに入る前にこの通りを歩くことにする。
 軒並み有名店で、いちいち足を止めたくなる。ただし今日は土曜日。本日休業が多く、人通りも少ない。
 それでも開いた店を見つけては店内ウインドーショッピング。

 自分のみやげを二つ考えていた。
 クラシックCD。これは各所で購入した。帰国後が楽しみだ。
 もう一つは帽子。チロリアンハットのようなのを期待し、あちこちで目を光らせたが見つからず、がっかりしていた。

 ヴァーツィ通りの折り返し近くに洋品店があり、入る。
 帽子がいくつか陳列してある。チロリアンはないが、ハンチングが気に入った。値段も手ごろというか、安い(2000フォリント=約1000円)。が少し窮屈感あり、棚に戻した。
 通りをずっと歩いて元の広場に戻る。未練がましく妻にいうと、
「買えばいいじゃない。似合ってたわよ」
 このセリフにぼくは全く弱い。

 再度通りをずっと歩いて洋品店へ。《やはりワンサイズアップが欲しい。なぜないのだろう?》。
 あきらめきれないまま横のキャップに目をやる。同じ色柄で、こちらはフリーサイズだから大きさの心配はない。値段も同じ。かぶってみるとまんざらでもない。妻はお好きなようにの顔。
 満足半分でキャップを買うことにした。ハンガリー製と思いきや、「Madrid, Espana」。気に入ればどこのでもいい、のだ。(写真は同夜ドナウクルーズにて。)

 ドナウクルーズにて

 ヴァーツィ通りを出て、ヴルシュマルティ広場のちょうど反対正面が喫茶店ジェルボー(Gerbeaud)だ。建物は中世風。1858年創業の、まことシックな喫茶店である。くたびれた足で入った。

喫茶店ジェルボー

 外見の優雅さはどこへやら、店内はごった返している。100人以上は入っているか。大半は観光客なのだろう。目を凝らすと、ツアー仲間の女性も何人か見える。しばらく席が空くのを待って、彼女たちとの合い席に座れた。
 さてメニュー。妻は仲間の奨めに従い、ぼくは妻に従う。

コーヒー・・Maria Theresa (570 forint = \280)
ケーキ・・Dobostorta (590 forint = \290)

 賑わいもものかは、この佇まい、この味、女性には応えられないようだ。
 妻もさっきの疲れをすっかり忘れて、マリアテレジアをすすり、ドボストルタに舌鼓し、シャンデリア輝く雰囲気に酔っていた。ぼくはメイド・イン・スペインのキャップをいじくりながら、まだあのハンチングが頭をかすめていた。

2.ドナウ川クルーズ (ブダペスト)

 ジェルボーを出て、そこいらをぶらついていると暗くなった。5時過ぎるとそのようだ。
 今夜は「夜のドナウ川クルーズ」が組み入れられている。朝から一日中の好天が保証されていたから、ジプシーショーを1時間ずらして実現したのだった。
 6時(18:00)、自由橋付近のペスト側"カドウナ・バロタ"という船着場で船に乗る。ぼくたちツアーの貸切だ。あたりはもう真っ暗闇。
 客室はサロン形式で、入るとシャンパンが振る舞われる。"美しく青きドナウ"ならぬ、リストのピアノ曲が流れている。
 船はここから上流に向かってマルギット島まで、1時間かけて緩やかに往復するのである。

 …………
 クルーズは本来昨夜の予定だった。が、ウィーンから夕方にかけてブダペストに近づいた頃、霧が立ち込めてきた。バスのヘッドライトがかすむ。スピードも幾分落とさざるを得ない。この季節よくある天気のようだが、夜に向かって霧はますます濃くなった。
《クルーズもいいが、遭難でもしようものなら……》
 そんな心配を推し量ったように、しばらく携帯電話でやりとりしたあと、添乗員がアナウンスする。
「今夜のドナウ川クルーズは残念ながら中止になりました。明日の夜を申し込んだところです。明日もだめな場合は、明後日帰国出発の午前中ということになります。気ぜわしいですが、これを楽しみに来られた方も多いはずですから」

 ウィーンからずっと見てきたドナウ川だ。霧のブダペストも悪くない。霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き、芭蕉もいうように。ぼくはやせ我慢半分でそう思って、昨夜は終えたのだった。

(旅の準備を怠った失敗談一つ。水泳パンツを持参しなかった!
 ブダペストは温泉で有名なのだ。ここだけの話、これ本当に知らなかった。翌朝ほとんどの仲間が温泉の話に花を咲かせている。ホテルにも素晴らしい設備が整っているし、近くに足を伸ばせば有名な施設が目白押しとか。丸裸でも入れたらしい。惜しいことをした)。

 一夜明けてしばらくすると、昨夜の霧がうそのよう。昼前からはずっと快晴、風も少しで気にならない。当然"ドナウ川夜のクルーズ"となった。
 真っ暗闇の6時、貸切船は静かに岸を離れる。しばらくは客室サロンで、リストのピアノ曲でシャンパンを味わいながら、窓外のブダ側夜景を楽しむ。
 …………

 階段を上って甲板に出る。なんと豪華なパノラマ夜景か。寒さを忘れさせる。右側がペストで、左がブダ。船は緩(ゆる)やかにエルジェーベト橋付近を上流に向かっている。
 ブダ側はゲレルトの丘、その辺りに軒並み有名な温泉があるはずだ。ペスト側はアール・ヌーヴォーの建築が、一つまた一つとライトアップされている。
 くさり橋が近づくと、ブダ側は博物館群が丘の一角に見える。橋はイルミネーションで輪郭が鮮やかだ。
 さらに進むと、今度はペスト側に国会議事堂がライトアップに映えて、威容を誇っている。付近も由緒ある建物が続く。

 陶然としているうちに、正面ほん近くに中洲のマルギット島が見える。手前のマルギット橋で船は大きく旋回して折り返した。
 下流に向かってなおも緩やかに船は進み、同じ景色を今度は落ち着いて味わうことになる。
 気づくと寒い。体が冷え込んでいる。それをすっかり忘れていた。甲板のパノラマはまさに値千金で、やはりドナウ川夜のクルーズは最高だった。
 この景色を芭蕉が見たら……富士を見ぬ日ぞ面白きと詠むかな? 想像をたくましくした。
 
 船を下りてバスに乗る。一路ブダ側の森の館へ。8時(20:00)にジプシーショーの夕食が待っている。
 (ジプシーショーは「Part4 ブダペスト」で書いた。)

3. 柿

 旅行3日目(11月17日)、ベルリンからプラハへ向かう途中、ドレスデン市街を見物した。
 ショッピングモールに柿があった。飾り棚にたくさん並んでいる。昨年の今頃、イタリアでほぞをかんだあの釣鐘柿である。
 渋(しぶ)が口いっぱいに広がって大あわてした。食べられるどころではなく、翌朝まで口の中はふくれていた。晩秋のこの時期、日本を離れたくないほど柿好きのぼくとしては、渋柿を恨めしく見つめながら、"柿食ふてよくぞ日本に生まれけり"と慨嘆したものだ。
 〈雑記帳第24話「初詣をはしご」 Part3〉

 この店は良心的である。というか、ぼくのあの苦い苦い経験を鑑(かんが)みてか、「この柿は甘くておいしいですよ」と、見本が縦割りと輪切りで横に展示してある。どう見ても渋がない。手のひら大で、いかにもジューシー。2個購入。1ユーロと少し、つまり1個100円もしなかった。
 味? その夜プラハの宿に着き、夕食のデザートは部屋に帰ってこの柿。ナイフで二つに割る。見本と同じだ。味見でまずは渋なしを確認。あとは少しを妻に残して、皮ごと一気に賞味(残る1個は翌日バスで移動中に、人知れずいただいた)。
 日本でこの乙な甘さは知らない。今宵の落ちは、《柿は東欧に限る》。
 そのとおり、数日してウィーンのスーパーで買ったのも同じ美味。どうやら、やはり柿は東欧の釣鐘柿≠ゥ。

4.旅の友

 ツアー仲間N氏と添乗員T氏について書く。
 N氏は旅の被害者である。機内預け入れ荷物が成田からベルリンへの途中、中継地パリ空港で消えた。10日間の旅を終えて成田空港に帰り、その後数日して受け取った手紙にも、「トラブルはまだ片付いていません」。

N氏と、ブダペスト英雄広場にて

 T氏もこの件では準被害者だ。ツアーの間中ずっとN氏に気づかいながら、また関係先との連絡に追われながらも、客全員に最大限旅を楽しんでもらえるよう、ユーモアを絶やさなかった。

T添乗員と、ウィーン・ベルヴェデーレ宮殿にて

 パリ空港で、全日空からベルリン行きエアフランスへの乗り換えは構内バスでターミナルを移動する。移動中、女性仲間が変な歓声を上げた。「ひどい!」。
 向こうで運搬車の荷台から荷物が何個も道路脇に次々と転がり落ちている。「こんな悲劇は味わいたくないですね」。だれかれなくいいあったものだ。
 ベルリン空港に着いて対岸の悲劇が現実になった。午後10時。一行39人中2人の荷物が出てこない。みなさん旅行慣れしているから動じた様子はないが、
「パリまでは両方とも着いていますので、次の便で到着するはずです。本日はもう一便ありますので……、深夜になりますが。お二人にはご不便をおかけしますが、何卒ご容赦くださいますよう」
 関係先との掛け合いから急ぎ戻った添乗員が告げる。
 お達しのとおり、深夜便で女性一人分は戻った。N氏の悲劇はここから暗転する。T添乗員の苛(いら)立ち(おくびにも出さないが)のはじまりでもある。

 翌朝、
「つらい話なのですが、エアフランスはパリ空港でNさんの荷物を確認していない、といっているのです。で、成田からもう一度追跡調査させているところです。Nさんにはお詫びの言葉もないのですが、明朝までになんとか戻って欲しいと願っています」
 T添乗員のなんともいえない顔。N氏はうつむく。次の日朝ぼくたちはプラハへ行ってしまうのだ。

 午後ポツダム観光の帰り、バスでN氏と隣り合わせる。彼は言う。
「飛行機の中は寒くないですから、コート以外の冬物は全て預け入れ荷物に入れました。下着類ももちろんです。幸い好きな写真道具は携帯にしたので助かったのですが……。妻が都合つかなかったことにもよるのですが、一緒に来なかったのがたたったかな」
 40代後半か、好青年である。こんな状況下で落ち込んだ様子を見せず、ユーモラスですらある。
 ありあわせで恐縮だったが、セーターとスポーツシャツをお貸しした。たまたま彼が不幸に見舞われたのであって、それがぼくであってもなんら不思議はない。だから他人の不幸とはいささかも思わないが、これ以上なすすべがない。
 それでも彼は、帰国して成田空港で別れるまで、セーター10枚分にも値する感謝を返してくれた。後日届いた礼状にも恥ずかしくなるほどの謝意が込められていた。
 ぼくなら、きっと恨みがましく添乗員をもっと困らせ、仲間の気持ちを害するのもかまわず、暗い感情そのままで振る舞い、みんなの旅を不快そのものにしていただろう。Nさんに幸あれ!

 横道にそれる。
 2泊のベルリンを終えてプラハへ向かう途中のドレスデンにて。
 ぼくたちは市内観光のあと、ショッピングモール散策を楽しんだ。ぼくは旨そうな釣鐘柿を買ったり、なにせドレスデンだ、CDコーナーを見つけて目を輝かせる。ツアー参加を決めたときから、ドレスデン国立管弦楽団のCDをと考えていたから。集合時間が迫っているのを気にしながら、やっと買ったのがこれ。

Franz Schubert
The Complete Symphonies
Staatskapelle Dresden
conducted by Sir Colin Davis
4 discset, RCA Victor Red Seal

 その間、T添乗員とN氏は衣類売場で忙しかったのだ。
 集合場所へN氏は新しいキャリーバッグをひいて現れる。ぼくのセーターの上に買ったばかりのジャンパーを羽織っている。T添乗員は小物袋を肩にぶら下げている。N氏の日用品が入っているのだ。
「不遇にかかわらず、このように朗らかにしていただき、Nさんには頭が下がります。みなさんのお気遣いにも本当に感謝しています」
 望みは捨てぬが、最悪の覚悟をしたT氏の様子。

 彼、T添乗員は「旅のプロ」だった。誠実・明朗で、情報の宝庫。
 カナダ・ケベックで旅行社を営んでいる。H旅行社とタイアップ関係にあり、日本での用件もかねて、今回いくつかのツアー添乗員を引き受けた。ぼくたちの東欧10日間がその一つ。
 彼がおれば現地ガイドは不要である。どの地でも説明によどみがない。歴史も風土も見所も、要領よくかみ砕いてくれる。随所にシャレを入れ、笑わせながらポイントをはずさない。そしてありきたりでないエピソードの数々。
 でいて、現地ガイドの見せ場をちゃんと心得ている。どのガイドとも顔見知りらしい。当然ガイドもやりやすそうで、こちらもリラックスして聴き入る。
 自然体の目配り気配り。N氏事件の対応もこれ以上は望めなかったろう。
 帰って数日してメールをくれた。

 「……小生は予定通り明後日より、やはり10日間のフランス大周遊なる旅に出かけてきます。今回は総勢24名様と前回よりも大分参加者が少ないのですが、小芝様から頂戴した貴重な『中年パワー』を如何なく発揮して、お客さまにフランスの魅力をたっぷり堪能してもらおうと思います。
 どうかいつの日かまたどこかの空の下で、高らかに笑い声をあげましょう!」 

5. あとがき

 帰国後何日かして、海外ツアーの交通事故が相次いで報道された。自分たちでなかったことをラッキーと思うべきか、変な気持ちがする。N氏のバッグ紛失事件にしてもだ。こんな災害にたやすく遭遇したくない。
 不穏なテロも最近はところかまわず頻繁に起きており、ついそこの国もきな臭いし、わが国はなにやらのターゲットとか。
 物騒で落ち着きのない世の中になってきた。
 かといって平均寿命でいけば、余命20年足らず。健康体で旅行のできる期間はその1/2か1/3だろう。思い残したくない。
 とはいえ、いい旅をした。あと、「食事」と「言葉」を書いて、締めくくる。

 食事

 ヨーグルト、チーズ、ソーセージ、ジャガイモ、ビール、ワイン。
 東欧旅行を前にして思い浮かんだかの地の「食」がこれだけとは、恥ずかしくも貧弱である。加えて、ヨーグルト以外はゾクッとしない。妻の好みもほぼ同様だから、さぞかし日本食が恋しくなるだろうと心配になった。10日間の旅で、食によるホームシックは惨めである。だから「即席味噌汁」10袋をしのばせた。

 例によって、旅行社は行く先々で郷土料理、名物料理の至れり尽くせりだった。メモにあるだけでもこうだ。

ベルリン   昼食   ドイツ名物ソーセージ
 ("CABINETT"にて)
ドレスデン 昼食 白魚、ホワイトソース
プラハ 夕食 名物ローストポーク
 ("U FLEKE"にて)
チェスキー・
クルムロフ
昼食 マスのムニエル
ウィーン 夕食 ウィンナーシュニッツェル
ブダペスト 夕食 ジプシー料理、特製ワイン
 
 せっかくの旅、しかもこれきりかも知れない東欧だ。食の予習もしていくべきだった。帰って振り返り、「そうだったのか」だから情けない。
 思わず「うまい!」と声をあげたのは、ソーセージとマスのムニエル。ソーセージは予想どおりとして、マスのムニエルは本当に旨かったなあ。
 ウィンナーシュニッツェルは、揚げたてなら頬を膨らませたことだろう。

 「即席味噌汁」は、バッグの片隅に入れたまま、結局は持ち帰った。妻もぼくも、それなりに東欧料理になじめたのかもしれない。
 ニューヨーク駐在の頃(20年前)は、飛行機で出張の都度、おにぎりを携えたぼくがいうのだから、「10日間をごはんなしですませた」のは、内心鼻が高い。

 言葉

 ベルリンとウィーンはドイツ語。プラハはチェコ語で、ブダペストはハンガリー語。
 残念ながら全滅だ。英語が少しは通じたからよかったものの、やはり現地の言葉で話しあえたら……。これは所詮かなわぬ夢だが、現地でにわか仕込みのあいさつ用語が案外役に立った。それこそあいさつ程度だが、重宝した。
 忘れぬうちに、チェコ語とハンガリー語を書きとめておく。

  チェコ語 ハンガリー語
おはよう ドブレーラー ヨーレンゲルト
こんにちは ドンブリデン ヨーナポルト
ありがとう ジュウキュウバン ケセナム
さようなら ナスクレタノ ウイソントラタシュラ
はい/いいえ アノ/ネ イゲン/ネム
ちょっと待って チョトマーテ ---
 
 これらの言葉を発するとき、アイコンタクトを忘れてはならない。相手の目を見、微笑みながら、大きめに声を出す。そうやってみた。例外なく通じた。相手も微笑みながらあいさつを返してくれた。
 相手の言葉で話そうとする気持ちは以心伝心するようだ。いまさらながら納得した。

 …………
 帰国出発はツアー9日目(11月23日)。
 夜8時45分、全日空機NH-210は、満席の客を乗せてフランクフルト空港を飛び立つ。成田空港直行便である。
 
 搭乗手続き前に添乗員T氏が自信ありげにこう教えてくれた。
「みなさん、運がよければの話ですが、離陸してしばらくしますと、オーロラが見られるかもしれません。機長がその旨アナウンスしてくれます。最後のツアープレゼントに期待しましょう」
 残念ながら機長のアナウンスはなかった。
 そして何時間たったか。ブラインドを開けて窓外を見やると、眼下は氷原とも見まがう山脈がどこどこまでも広がっている。
 日本は地球はるか遠く、とても10時間やそこらで戻れるとは思えなかった。

成田への途中

 雑記帳第35話「東欧紀行 2003」 おわり
2003.12.24

アラカルト(1)朗読(14'21") on
アラカルト(2)朗読(9'43") on
あとがき朗読(7'28") on
総朗読時間: 2: 08: 53
: 文中、原語名は、文字によってその種類がないため、アルファベットで代用した。正確なつづりでないことをお断りし、お詫び申し上げます。
参考文献
地球の歩き方〔A14ドイツ〕、ダイヤモンド社
地球の歩き方〔ポケット18〕、ダイヤモンド社
トラベルストーリー〔ベルリン・ドレスデン〕、昭文社
個人旅行〔29オーストリア・プラハ・ブダペスト〕、昭文社
Part0
あらまし
Part1
ベルリン
Part2
プラハ
Part3
ウィーン
Part4
ブダペスト
Part5
アラカルト
第34話 第36話
再朗読(2023.04.07)
「2003年、東欧紀行」
part0 part1 part2 part3 part4 part5 total
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