ハンガリーは、サツマイモを横なりにした形をしている。面積9万3千平方キロは日本の25%で、人口は日本の8%(約1,016万人、2002年現在)。
マジャール人(ハンガリー人)が97%を占め、公用語もマジャール語。宗教はローマンカトリックが約70%、プロテスタントが25%、ユダヤ教徒が1%とのこと。
周りを次の7ヶ国が輪になって囲んでいる。オーストリア、スロバキア、ウクライナ、ルーマニア、ユーゴスラビア、クロアチア、スロベニア。輪の向こうはドイツ、イタリア、ロシアという、往年の大国で、この地勢がハンガリーの歴史を激動にして現在に至っている。
もちろん海に面してはいない。代わりに国の真ん中をドナウ(Donau)という大河が縦断している。
そのドナウがオーストリアのウィーンを通って西側からハンガリー北部に入り、南へ大きくカーブを切るところで川の両岸を取り巻いているのが首都ブダペスト(Budapest)だ。近世の歴史を刻んで、趣(おもむき)がある。
人口190万人のほとんどにあたるマジャール人が9世紀にこの地へ来て、いまに歴史がつながる。19世紀のオーストリア・ハンガリー帝国時代がこの町の黄金期だった。その頃ドナウ川に"くさり橋"が架けられて、実質ドナウをまたいだ一つのブダペストとなった。
西側のブダ(Buda)地区は丘陵状である。自然の景観がよい。王室等の歴史的建造物や古い遺跡もある。
河東のペスト(Pest)は商業地域だ。ショッピング街、政府・官庁関係、近代ホテル、オフィス、新興住宅街……。
足を踏み入れると、この際(きわ)立った違いはすぐに体感できる。ペスト側も、各種建造物はシックで見ごたえがある。概(おおむ)ね煤(すす)けているのが気がかりではあるが。
2泊3日のブダペストとは言い条、夜着いて翌々日の正午出発まで正味1日半だけだ。それでも"ドナウに咲いた東のパリ"を楽しんだ。
11月21日、ウィーンからブダペストへ向かう途中で、センテンドレ(Szentendre)という田舎町に寄った。ブダペストの郊外で、ドナウベント(Danubebent)地方の古都だ。
コバチ・マルギット美術館(Kovacs Margit Muzeum)に入り、しばらく見物。詩人でいうなら金子みすヾを思い出させるメルヘン調の彫刻。価値を実感したが、それを伝える筆力がなくて残念だ。館内は撮影禁止で、写真もここではお見せできない。せめて入口の彫刻でお茶をにごす。
(なお、館名は女性彫刻家の名前で、コバチが姓、マルギットが名。ハンガリーでは、姓名の順序は日本と同じ)。

…………
11月22日(土)、ブダペストの一夜が明けて。
優美なインテリアの4ツ星ホテル・へリア(Helia)は、ペスト側でドナウ川に面している。朝食は、大ホールでピアノの生演奏を聴きながら。ヨーグルトがなによりだ。
8時半出発。昨夜の霧がまだ続いている。午前中の観光は、
@英雄広場(ペスト側)のあと、
エリジェーベト橋を渡ってブダ側で、
Aゲレルトの丘、B王宮、C漁夫の砦、D聖マーチャーシュ教会。
くさり橋を通って再びブダ側へ。チキン料理の昼食。
午後の自由行動をはさんで、夜は、霧が晴れればドナウ川クルーズ。そのあと森の館でジプシーショー。
忙しいスケジュールである。幸い昼前には霧が去り、予定通りの一日となった。
|