3日目(11月17日)、午後。
 ドレスデンから150kmを4時間かけてプラハへ。途中ドイツからチェコへ国境越え。といっても広い高速道が途中で通せんぼされているだけだ。
 車内にチェコの検査官が入ってきて、パスポートの提示を求める。がなんのことはない。にこやかにすばやく終った。通貨両替えのほうがやや手間だった。
 バスから出て、簡易銀行窓口へ急ぐ。

銀行で両替え

「ユーロで大丈夫ですが、ちょっとした買い物やチップ、枕銭として少しコルナ(チェコ通貨)に替えておいてください。
 添乗員のアドバイスどおり、約5000円のユーロをコルナに両替えした。
 
ベンディングマシン チェコ側トイレの出入口で、面白いベンディングマシンを見る。高くもない品格をさらに下げそうだが、ついでながら……。 

 あとは小雨の中をバスはひた走り、プラハのホテル・ディプロマット着、6時。あたりは真っ暗がりだった。  

 
チェコ共和国 (Czech Republic)
首都 プラハ (Praha)
面積   78,864km2
(内プラハ 497km2)
人口 1033万人
(内プラハ 122万人)
公用語 チェコ語
人種構成 チェコ人 81%
モラビア人 13%
スロバキア人 3%

 中部ヨーロッパに位置する共和国。ボヘミアとモラビア両地方から成る。1939年スロバキアと分離してドイツに合併、45年再びスロバキアと合併。93年独立。狭義にはボヘミアを指す。(広辞苑)

 
 ブルタバ川がプラハの真ん中を縦に流れている。ぼくたちにはスメタナの「モルダウ」でおなじみの川だ(モルダウはブルタバのドイツ語名)。
 この川の西側にプラハ城があり、カレル橋を横切って東側に入ると、プラハ市街になる。その順路で、ツアー4日目(11月18日)午前、まずはプラハ城を訪れた。

プラハ城 (Prazsky hrad or Prague Castle)

 古くからボヘミアと呼ばれたこの地方(チェコ共和国の西側)は、6世紀後半にスラブ民族が住み着いて、現在に至っている。9世紀後半にはこの城の基礎となる城砦が造られ、ボヘミア王国の黄金時代(カレル4世)である14世紀にほぼ現在の姿になったようである。

 旧王宮(Stary kralovsky palac)のバルコニーに上る。ここは16世紀まで歴代の王の居城だったとのこと。
 青空のもと、市街地が遠くまで一望できる。柿色の屋根が連なって、"東欧の景色とは"が、眼下に展開している。

旧王宮

 ぼくたちだけでなく、欧米各国からだろう、大勢の観光客や学生・児童たちの団体でごった返していた。
  
聖ビート大聖堂 (Katedrala sv. Vita)
 930年にロマネスク様式で建てられたが、その後カレル4世時代の1344年よりゴシック様式の改築工事がはじまり、1929年に完成した。日本では考えられない長い歴史を刻んだ建築物だが、ヨーロッパにはままあるのだろう(奥行124m、幅60m、塔の高さ96.6m)。

 広いホールとドーム状の天井、厳かな礼拝堂、国宝級彫刻の数々。それにもまして、ステンドグラスのきれいなこと。その内部も撮影許可で助かった。

聖ビート大聖堂
 聖ビート大聖堂 

黄金の小道にて 大聖堂を出て少し歩くと、"黄金の小道"(Zlata ulicka)という路地裏商店街がある。昔金箔職人が住んだからそう呼ばれているとか。2、3坪の小さな店が軒を連ねている。入ると、どこも目移りして楽しい。女性客の目は輝いて、どなたもちょっとしたおみやげに気づくようだ。妻もなにか買っていた。ぼくはチェコフィルのCDを2枚手に入れた。中身? もう一枚は後述するとして、一枚はスメタナの交響詩『わが祖国』(2曲目がVltavaモルダウ)。スメタチェク(Smetacek)指揮、チェコフィル演奏のもの。

 路地入口で妻を待ちながら、勧められるままに温かいワインを飲む。寒空にこれが結構乙な味だった。
  

カレル橋 (Karluv Most)

 プラハ城から旧市街へ、ブルタバ川(モルダウ)に架かるカレル橋を渡る。ここは年中歩行者天国だそうで、観光客で大賑わいだった(全長520m、幅10m、ゴシック様式の石橋。カレル4世の命で1357年着工、1402年完成)。

カレル橋

 橋両側の欄干にほどよい距離で並ぶ30体の彫像は、全てが聖人・聖母で、17世紀から19世紀にかけて造られた。さわるとご利益のある像は名声も人気もあるようだった。人だかりでわかる。
 聖フランシスコ・ザビエル像には、日本の信者がひざまずいていた(1711年、ブロコフ作)。

カレル橋

旧市街 (Stare Mesto)

 カレル橋を渡り終えて右脇のカルロヴァ通りを道なりに進むと、旧市街広場に着く。
 この狭い通りは左右に店が並んで、人通りも激しい。で、目があちこちして、思わぬところへ出てしまったようで、あわてた。集合時刻が迫っている。尋ねた相手が英語を理解してくれたからよかったものの……。
 妻は妻で、……平然たる素振りで、指定の場所に来れた。案の定最後の二人だった。ガイドはぼくと同様にホッとした顔をして片目をつむった。

旧市街

 広場は12世紀以来ずっとプラハの中心であった。ゴシック様式の旧市庁舎とティーン教会、ロココ様式のゴルツ・キンスキー宮殿、バロック様式の聖ミクラーシュ教会、その他ルネッサンス様式の建築等に囲まれている。
旧市街広場
旧市街広場

 正午、旧市庁舎の時計塔前に立つ。群集に混じって、時計仕掛けで12使徒が窓から現れるのを見ることができた。
 そのあと、中に入って古びた階段を上り、カラクリを間近で見物した。どうってことはないのだが、年代物で、キリストのお弟子さんたちはよく頑張っていた。

時計塔

 午後の自由時間は後述のスメタナ・ホール界隈散策と、レコード店でCD選びに余念がなかった。
 スメタナ・ホールは、観光名所にもなっている。旅の本によれば、
「アール・ヌーヴォーの市民会館の2階にあり、プラハ市民に最も人気のあるコンサート・ホールのひとつ。1階の豪華なカフェもおすすめ」(個人旅行29オーストリア、昭文社)とのこと。

 レコード店は広場近くにあり、入る。クラシックのCDが広い場所を取って並んでいる。大概のが揃いそうだ。
 目移りした分時間をかけて、予算内で相当枚数を仕入れられた。ノイマン指揮・チェコフィルでマーラーの交響曲は全曲買った。

 旧市街に接しているユダヤ人街には行きそびれた。ブランド店、高価なアンティーク屋、クリスタル屋が軒を連ねているらしく、コンサート会場になる教会・最高級ホテルなど、高級志向にはうってつけらしい。 

スメタナ・ホール (Smetanova sin or Smetana Hall)

 D鋼勤務時代、ニューヨークに駐在していた頃、カーネギーホールでヴァーツラフ・ノイマン指揮のチェコ・フィルを聴いた(1982年)。演目はなんだったか。チェコスロバキアというか、ボヘミアというか、その地方特有の音楽ではあったが、それがヨセフ・スークのバイオリンで、ドボルザークの「バイオリン協奏曲」と「交響曲第9番、新世界」だったような気もするし、スメタナの「わが祖国」全曲だったようでもあり……残念ながら思い出せない。白髪のノイマンが案外背が低く、ずんぐりしていた、その印象が頭の隅にある。

 プラハ2日目(11月18日)の夜にコンサート見物を考えていた。旅立ちを前にして、娘の情報では、

@ スメタナホール 「ビバルディオーケストラ・プラハ」
   バッハ、ビバルディ等の合奏曲
A プラハ国立オペラ座 「トラビアータ」
 当日朝を待ちかねてホテルフロントのコンセルジュに訊くと、スメタナホールにかなり空席がある。
 オペラ座の確認を忘れて、スメタナホールA席(1,000コルナ=約3,000円)2枚を申し込んだ。そしてハップニング……。

 居合わせたツアー添乗員T氏に何気なく、
「今夜はスメタナホールへ行くことにしましたよ」
 そういうと、
「それはそれは。まだ空席がありそうですか?」
 すぐあと、観光出発を前にして、
「みなさん、今夜はいかが過ごされますか? 特別にご予定のない方にお知らせです。8時からスメタナホールでクラシックのコンサートがあります。確かめたのですが、空席がまだ十分にあります。東欧といえばクラシック音楽ですよね。ご希望があれば、まとめて申し込むことにします。では小芝さんから内容等を説明していただきます」
 結局ぼくたち夫婦を含め21名が押しかけることになった。問題は、T氏が別の予定があって、行けない……。

 午後のフリータイムは、オプションの「ボヘミア古城観光」が定員に見たずキャンセルになったこともあり、もっぱらコンサートの行き帰りを想定して、プラハ市街の即席地理勉強となる。
 何事もあとになれば結果オーライで、「な〜んだ」だが、初めての異国、標識は全てチェコ語、カタコト英語も話しかける相手によってはままならず。ともあれ、スメタナホールへの行きはよしとして、帰りをなんとか無事に。
 当夜は夕食会場のビヤホールからホテルへの帰り、バスは旧市街の目抜き通りで降ろしてくれることになっている。スメタナホールはすぐそこ。だから会場までの行きはよい。問題はコンサートが終わってからのホテルへの帰り道……、夜も十分に更けているはずだ。

 でも観光地図を指でなぞれば、スメタナホール近くの地下鉄駅ムーステク(Mustek)でAラインのデジューヴィカ(Dejvicka)行きに乗って4駅目の終点(デジューヴィカ)で降りる。前方出口左を地上に出て、200m先がホテル・ディプロマット(Hotel Diplomat Prague)。40、50分もあれば十分。それだけであった。

 予習するにこしたことはない。自由時間をぬって実行する。行きは問題なさそう。
 まずは旧市街広場の時計塔を起点にスメタナホールを目指す。多少寒いが、晴れててよかった。
 ツェレナゥナー通りを10分ほど歩くと左に"殿(でん)"とあった。荘重な市民会館(Obecni dum)がそれで、スメタナホールは2階である。当夜の催しも確かめた。

スメタナホールの案内

G. F. Handel Concerto grosso A Minor Op 6, No. 4
J. S. Bach Concerto E Major for Violin & Orchestra,
BWV 1042
A. Vivaldi Sinfonia G Major, RV 146
A. Vivaldi The Four Seasons (Le Quattro Stagioni)
Autumn, Winter
 
 次は肝心の帰り道だ。
 ナ・プシーコビェという大通りに出て、右へ10分か15分歩くと地下鉄ムーステク駅(Mustek)に着くはずだ。ムーステクはAラインとBラインの交差駅になっている。
 これが旅行者をややこしくする。東京の地下鉄日本橋駅と思えばよい。言わずと知れた銀座線、東西線の交差駅だ。が、両線のホームはとんでもなく離れている。浦安へ行くのに銀座線のところへ行ってはいけない。目指す東西線のホームは別のところにある。
 それと似通っていた。というよりはもっとひどかった。スメタナホールから5分くらい歩いた途中に、紛らわしくBライン専用の地下入口があるからだ。ここを入ると往生する。ぼくたちの乗るAラインに行きようがない。
 結構難儀≠悟り、予習の価値を評価した(参考までに、これが地下鉄路線図
 
 地下鉄Aライン・デジューヴィカ行きに無事乗車できたとして、終点からホテルまでの道順だが……、確かめる時間がないまま、添乗員の「指図」どおりに従うことにする。
 幾分心もとないが、これで当夜21人のホテル帰還に至る道筋をそれなりにシミュレーションした、ということで…………
 
 格調高い建造の市民会館といい、入って正面の有名(そう)なモザイク画「プラハへの賛辞」やシャンデリア輝く館内の荘重さに比べ、2階のスメタナホールは拍子抜けするほどシンプルな会場だった。座席も古ぼけて粗末、といっては失礼にあたるかな。さすが板敷きが体になじんで、なんとか座り心地は悪くなかった。
 ここで毎年「プラハの春音楽祭」が行われているとは。また、たまたま午前中プラハ城の「黄金の小道」で購入したもう一枚のCD「ベートーヴェンの交響曲第九番、ヴァーツラフ・ノイマン指揮、チェコフィル」のラベルに、「スメタナホールでライブ録音」とあった。"Digital Live Recording in Smetana Hall of Municipal House, Prague, on December 14, 1989"。
 要するに、チェコでは由緒あるクラシック音楽の殿堂である。観光誌にもこうあるから間違いない(少しくどいですね)。
 「アール・ヌーヴォー様式の見事な装飾でまとめられ、繊細な彫刻や天井を飾るフレスコ画、ステンドグラスなど、至る所に芸術性が感じられる。おもに交響曲が演奏され、音響効果にも定評がある」(地球の歩き方ポケット18、ダイヤモンド社)

スメタナホール

 夜8時きっかりにはじまった。ビバルディオーケストラ・プラハ(Vivaldi Orchestra Praga)は12人編成の弦楽合奏団。
 知らない名だ。いつか東京で見たイ・ムジチ合奏団のような華やかさはなく、淡々と演目をこなしてゆく。こちらはジッと聴きながらも、頭のどこかでは帰りの道順を反すうしている。
 9時きっかりに終って、カーテンコールのあとアンコール曲なし。
 客も五分以下の入りで、さびしいコンサートだった。

 さて、帰り。
 案ずることはなかった。みんなぼくたちより旅行慣れしている。誘導し、誘導されつつ、10時には21人全員ホテルに無事着いた。
 音楽そのものよりもこちらに余分な労力を使ってしまったせいか、部屋に入るやシャワーもそこそこにベッドにもぐりこんだ。
 コンサートの感想? 翌朝みなさんから、にこやかな顔で感謝された。自分では期待はずれだったし、同様の感想をどなたかがと、心配したが、なし。目で返礼しつつ、胸をなでた。   
チェスキー・クルムロフ (Cesky Krumlov)

 5日目(11月19日)、プラハからウィーンへの途中、チェコ領世界遺産都市チェスキー・クルムロフで半日遊んだ。
 南ボヘミアの古都だそうで、丘一帯の城址を眺める景色も、城址に上ってそこから見下ろす景色も、城址自体も、おとぎの国である。

チェスキー・クルムロフ
チェスキー・クルムロフ

 また、城下の袋小路がいい。軒並みずっと魅力的な民族店・民芸店である。
 折からの小春日和とて、石畳敷き・坂なり小路をゆったりぶらり。
 こじんまりした素敵な喫茶店に入る。コーヒーがうまい。ケーキもよい。のんびりした気持ちになる。言葉は通じないが、目は口ほどにものを言ったようだ。ボヘミヤ美人の店員がいい笑顔で見送ってくれた。

チェスキー・クルムロフの喫茶店にて

 レコード店にも入る。「この国の民俗音楽ないでしょうか」と英語で言うと、理解したのかどうか、女主人がCD2枚を選んでくれた。「Baroque Music in Bohemia」と「Czech Baroque Music」。

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