台風二一号が伊豆諸島を巻き込んで関東近海を通過している。東京周辺は昨夜来、雨も風も激しい。
津船良平は朝を待って、須賀五郎次に電話を入れた。
「夕方までこの状態が続くようですから、日を改めたほうがいいのでは」
須賀老は笑い声で、
「電車が止まってしまってはなんだがね……」
渋沢史料館訪問は、決行することになった。
須賀と深海恵理子は鎌倉から、津船は浦安から、正午前に東京丸の内の喫茶店で落ち合った。三人ともレインコートに雨傘の出で立ちだ。トーストで軽い昼食を済ませ、京浜東北線に乗る。
渋沢史料館は、JR王子駅から程近い北区飛鳥山にあり、紙の博物館、北区博物館と隣り合っている。
王子駅から徒歩一〇分らしいが、駅に降り立つと、雨はまだ横殴りに吹き付けており、ロータリーは水が流れている。タクシーを利用することにした。
モダンな洋館の玄関横で、渋沢栄一の胸像が迎えた。
受付で須賀が来意を告げると、男性が進み出て、
「お待ちしていました。学芸員の関元です」
と言って、名刺を差し出す。
テーブルには〝史料〟が用意されていた。『渋沢栄一伝記資料(全六八巻)』の目次集で、これだけでも分厚い。
須賀は目次集を前に腰掛けて、早速作業にかかる。
メモ帳を横において、一行ずつ目で追いながらゆっくりページをめくっていく。
恵理子と津船はしばし手持ち無沙汰である。両側に座って、横目で須賀の作業を眺めたり、当館の案内書に目を通したりしながら、指示を待っている。
しばらくして、須賀老は顔を上げた。
「これを出してもらおうか」
史料一覧の『第二十六巻』のところを指で押さえながら、確信ありげに津船に伝える。後輩は関元学芸員に取り次ぐ。
学芸員は階下の書庫に消え、間もなく分厚い〝それ〟を抱えて現れる。装丁は丁寧に施されているが、中身は古いままである。表紙に『事業別年譜第二部・社会公共事業』とある。その中の『実業教育』の項に渋沢栄一が関わった学校・教育関係の記事があるはずだ。
「これだよ、私が求めていたのは」
須賀は、第二十六巻と目次集とを見比べながら、うれしそうに言う。さらに気づいたように、
「こちらにも関連記事がありそうだね」
津船が立ち上がって第四十四巻を学芸員に伝える。振り返ると、老先輩はすでに天眼鏡を片手に、丸まった背をさらに丸めた姿勢に戻っている。
大部を開いて指サックで一枚一枚丹念にめくっていく。時々目が光って指サックの動きが止まる。メモ帳に書き止め、用意した〝しおり〟をページに挟む。黙々と作業に没頭している。
〈二度子供!〉
七、八十年前はこんな格好で勉強していたのだろう、と津船は感心する。
恵理子は横で、須賀の指示に従って資料を追っている。津船も与えられた作業に戻るや、自分で心当たりをめくったり、ノートに書き込んだり……。
須賀老が予定の調べを終えると、作業をはじめて三時間近くたっていた。
「しおりを挟んだところをコピーお願いします」
津船が受付係員に頼む。作業完了である。
「いやあ、驚きだ。渋沢栄一とわが校の関係についてはよく知っていたつもりだが、今日は思わぬ発見もあった」
須賀は疲れを見せない。
「帰ってコピーをじっくり読んで、頭を整理するよ」
収穫の手ごたえが表情に息づいていた。