九月中旬、まだ残暑の中にある。
その日午後、須賀五郎次、深海恵理子、津船良平、祝田睦美の四人が、大手町、三菱地所設計本社に来た。山辺みどりは都合つかず。
睦美のさわやかな装いに比べて、恵理子のツーピースは地味で特徴がない。女流画家のイメージに似つかわしくない。場所柄を心得たのか、須賀への気配りか。愁いを含んだ中年女性の容貌とえくぼは、隠しようはないが。
会議室に案内される。壁にブリューゲルの絵がある。恵理子は小さくうなずき微笑んで過ぎたが、津船は立ち止まって見つめる。
村の結婚式だろうか? それともフリーマーケット? 人々々……動物たち……。
十六世紀フラバント公国(現オランダ)の画家とある。独特の細かな描写は、自称絵画オンチの津船を惹きつけたようだ。
須賀も大事な杖を事務員に渡して一瞬、意味ありげに注目した。
須賀の依頼を受けて、スクリーンが正面ボード手前に用意されており、それに向かってどっしりした矩形のテーブルが置かれている。
片側に須賀たち四人が座り、津船は持参のノート・パソコンを取り出して、スクリーン投影の準備にかかる。
対面して、三菱の木谷常務とスタッフが三名。そして竹中工務店から二名。両社スタッフはそれぞれ資料を持ち寄っている。竹中は、同社が昭和初めに講堂を新築した時の施工業者だったということで、三菱が出席を依頼していた。
須賀の真向かいが木谷常務。背は高くないが恰幅があり、焦げ茶の背広上下に同系のネクタイが似合っている。七三に分けた頭髪は白が目立つ。画家の恵理子に気づいているようで、会釈する。
二時きっかりに会議がはじまった。
まずは須賀老が、木谷常務、そして列席のスタッフに笑顔を向け、本日の会合を感謝する。その噺家調に座が和む。
次いで本題に誘導する。
八十年前に竹中工務店の手で建築された兼松講堂が、この度三菱地所設計によって全面改修され、見ちがえるほどによみがえった。国の文化財といっても近年は名ばかりで、すすけた外景はともかく、内部は見苦しいほどだったが、これで名実ともに誇らしい建物に生まれ変わった……、と。
スクリーンには、津船のノート・パソコンから、新装なった兼松講堂の全景が写し出されている。悠然としたレンガ色の佇まいは、当日の猛暑を感じさせない。
「ご存知の怪獣たちについて……」
と、須賀は今回の趣旨を再確認する。
「工事に入られて、講堂内外ともどんな具合だったでしょうか?」
スクリーンの場面が変わり、各所のスナップで怪獣たちが次々と登場する。
「痛んでましたね、どこもここも。とくに怪獣たちの彫刻・レリーフが。修復できるものは、原形にできるだけ近づくよう工夫しましたが、できないのも多数で、思ったとおりには行きませんでした」
木谷常務が、ネクタイに手をやりながら、率直に答える。
画面がホール内観になると、須賀の表情が一段と和らいで、
「コンサート・ホールとしても立派になりましたね。私もこの五月に……」
恵理子とうなずきあって、彼女と楽しんだこけら落としのコンサートにふれる。
「生演奏の醍醐味を久しぶりに満喫しました。曲がった背中にムチを入れられたようで、二、三年は長生きできる気分になりましたよ」
恵理子がニコッとえくぼをへこませる。
「ムチですか」
常務の顔もほころんで、次々と入れ替わり現れる講堂内部の写真にタイミングを合わせて注釈する。
「今回新たに空調設備を取り付けたのですが、これによる音響への影響対策は厄介でした。舞台も工夫を要しました。他に、楽屋は物置き同然でしたし、客席も窮屈すぎる。照明関係や、床にしましても……」
次々と状景がよみがえっているようだ。
須賀は何度もうなずき返し、同行者は感心した面持ちで聞き入っている。
「それにしても、無数の怪物じゃないですか。中も外も、実にすごい──」
常務のジェスチャーを交えた指摘に、津船は忙しくなる。スクリーンは再び、怪獣や妖怪が混然一体となって続々と現れる。
しばらく改修談義に花が咲いて、やっと本題にはいった。兼松講堂建築の頃の裏話とファサードの『四神像』のことだ。
八十年余り前の大正十二年(一九二三)に遡って、その年九月に起きた関東大震災を起点に、キャンパスを東京神田から武蔵野に移転して、兼松講堂が完成するまでの数年間が核だ。この席で須賀たちが知りたいのは、
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兼松講堂の設計を伊東忠太が引き受けた経緯は? |
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施工業者はどのようにして竹中工務店に決まったのか? |
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建築様式がロマネスク様式になったいきさつと、採用の決定者は? |
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だれが、どんな意図で、ファサードに『四神像』の配置を発想したか? |
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とくに内部は、なぜ怪獣だらけなのか? |
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木谷常務からバトンタッチされた三菱・竹中の各担当者が、用紙に並んだ質問事項の順に従い、鋭意説明するのだが……。
完成して八十年も経過している。老朽はなはだしく、そのため今年春にかけて大改修を行ったのだった。初期の当事者は殆んど故人で、頼りは資料と伝聞だけ。そのため、両社とも心当たりの資料を持ち寄っているのだが、なかなかピタリと当てはまる答えは見つからない。
ファサード上部に取り付けられたいわゆる『四神像』については、七月下旬の暑い日に、須賀たちが国立の大学本館で面談した施設課長の発言内容を超えるものではなかった。
つまり、
「上の、蛇が二匹巻きついているのが校章のマーキュリーで、下の三連アーチの怪獣は、鳳凰と獅子と龍」
その裏にどんな意味が秘められているのか、手掛かりになる資料はない、と彼らは言う。
もっともその怪獣たちを中国発祥の四神≠ニみなす概念自体、須賀の思い込みとも言えるから、証拠探しは初っ端から的外れなのかもしれない。
建築様式をロマネスクとしたいきさつ≠ュらいは、と須賀たちは期待していたのだが、これも両社手持ちの資料では見つからなかった。
コーヒーブレークで一服する。カップから立ち上る豊かな香りが、張り詰めた場に広がった。