4. 追う 2
 が、収穫もあった。須賀の考えでは、
〈施工業者を竹中工務店に決定したのは、建築の費用全額を寄付した兼松商店であり、設計を伊東忠太に依頼したのは竹中工務店ではなかろうか〉
 だったが、竹中側の回答はどちらも違った。
 黒縁メガネの担当者は表情を固くして言う。
「施工業者がわが社に決まったのは入札の結果でした。兼松商店の指名ではありません。これは資料にありますので。私どもでなければならないような工事内容でもありませんし、キャンパス全体として国が絡んでもいますので、入札が適当ではなかったでしょうか。全額兼松商店の寄付であったとしましても」
 須賀のいぶかしい表情に気づいて、竹中担当者はやや慌てながらも、
「兼松商店は私どもと同じ関西ですが、この講堂に限っては、『費用の全額寄付をするも、工事等、他は一切関与せず』を貫いたようです」
 と一気に言い切る。
 次いで、
「設計者は建築決定とほぼ同時だったようですね」
 今度は淀みがない。
「これは入札や競争ではなく、伊東博士に学校側が直接依頼されたのではないでしょうか」
 須賀もここは同意せざるをえないようだ。
「兼松商店の寄付金による講堂建築が具体性を帯びた頃に並行して、伊東博士の設計関与が公けになったのですね。てっきり御社の伝手(つて)ではなかったかと思っていましたので……」
 と幾分ぎこちない。気分を変えるためか、足を組み直して、
「施工業者として竹中工務店の決定は入札でしたか。そして博士と御社の共同作業は、たまたまそうなったと言われるのですね?」
「そんなところです」
 担当者は、きっぱりと答える。
 須賀は、これ以上裏事情の有無云々に固執しても無駄と判断してか、
「ところで」
 と話題を変える。津船たちは口を挟む余地がない。
「伊東忠太と御社の関係ですが、それまで結構繋がりがあったようですね。この講堂以外でも、日本の建築史に名を連ねるような建物を幾つかお造りになっているようで」
「そうです。その件については、資料を持ってきました」
 担当者の表情はゆるみ、用紙を配って、行を追いながら話す。
 東京帝大で伊東忠太教授の門下生だった藤井厚二は、卒業して六年間竹中工務店に籍を置いた。その後京都帝大教授として『建築環境学』を確立。彼の造った実験住宅『聴竹居』は近代建築史にその名がある。
 藤井が竹中工務店にいた間に、伊東は同社と組んで有名な『真宗信徒生命保険』を設計・建築した。大阪の『阪急ビル内部装飾』も伊東・竹中の共同傑作で、これは兼松講堂の二年後に完成している。
 伊東忠太と当社・竹中工務店とは、いわば打てば響く関係ではなかったか。だから、兼松講堂の施工業者が竹中に決まったことを、伊東博士は内心喜んでくれたのではと思っている。

「私ども業者としては、忠太博士は、建築・設計の大権威であることは当然として、もっともっと興味尽きない存在でしてね。不思議な人です。彼の話だけで一日が終わってしまいますよ」
 木谷常務が笑いながら話を継ぐ。
「そんなことで伊東忠太が兼松講堂の建築責任者に収まったわけですが、こちらは何か唐突ではないですか?」
 常務は、伊東博士の数ある業績に照らし合わせて、兼松講堂を引き受けた動機がピンと来ないようだ。事実ではあるが、すんなり理屈付けが出来ないとの面持ちで、小首を傾げている。さらに、
「なぜ彼に白羽の矢が立ったのかも、私たちには割り切れない謎です」
 業者側は一様にうなずく。
「忠太博士の怪獣の漫画や彫刻はとみに有名ではありますが……。兼松講堂については、建築の話が出た当初から、伊東忠太が自ら進んで立候補されたとはとても考えにくいのですよ」
 ここで常務は自身の考えに移る。
「東京帝大教授としての職責や建築学界での重要な立場はお座なりに出来ないはずですし、他にも国が絡んだ建築物への関与やら、いろいろあったでしょう……。少なくとも御校の講堂は、博士にとって不可欠のものであったとは思えません。百歩譲って両者が繋がったとしても、学園の思惑が、忠太博士の、意固地ともいえる独特の作風を絶対的に必要としていたのかどうか。……ジグソーパズルですね」
 ここまでだった。渋い茶のタイをいじりながらもどかしい顔つき。
「第一に、兼松講堂建築の構想がどのようにして伊東教授に伝わったかです。仮に何らかの筋≠ゥら強い要請があったとしても、帝大教授で建築界の権威である彼が、どうしてもと腰を上げる動機が薄い。失礼ですが、当時の東京商大は東京帝大にとっては格下ですし…。そして肝心の場所ですが……、国立(くにたち)は遠い! 中央線で三鷹よりずっと先ですよ。それも八十年も前のこと……。あの辺りは、谷保(やぼ)の狸御殿≠ニまで言われていたと聞いています。そんな地理的悪条件をも承知で、それでも引き受けられた。なぜでしょう?」
 須賀たちも同じ思いだ。だから余計に迷路をさまよっている。
(まぎ)れもなく、博士が兼松講堂の設計を引き受け、自ら建築責任者の任にまで当たっていた〉。
 その事実だけが心の支えである。
「伊東忠太博士に託すことを誰が発想し、どんな根回しがなされ、アプローチした人物……」
 これらはいずれも須賀のない物ねだりのようで、常務の答えは、
「正直申し上げて、何の手掛かりもないのですよ。忠太博士は、ご承知のとおり、建築学界の大御所ですからね。彼に正面切ってお願いできるのは、政府関係でもかなりの大物でなければ……。こうと思ったら、テコでも自説を曲げない人だとも言われていたようですし」
 歯切れの悪いつぶやきめいた常務の言に聞き入りながら、須賀の目はジッと彼方を見つめている。脳裏に、商法講習所生みの親とされる実業家、渋沢栄一のシルエットがよぎっていた。

4.追うー2の朗読 10’ 30”
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目次、登場人物  9.大震災 (1-2)
1.オールド・コックス (1-3)    10.武蔵野へ (1-2)
2.怪獣 (1-2) 11.集古館 (1-3)
3.模索 (1-3) 12.建築者 (1-3)
4.追う (1-4) 13.ロマネスク (1-2)
5.史料館 (1-4) 14.四神像 (1-3)
6.黎明期 (1-3) 15.籠城事件
7.申酉事件 (1-3) 16.白票事件 (1-2)
8.商大誕生 (1-2) 17.堅い蕾
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