苗場山頂の湿原は4キロ四方にもおよんでいるそうだ。
"山頂"の常識はここでは当てはまらない。
頂上の一角に山小屋が2軒ある。私営の"遊仙閣"(新潟県側、定員10名)と、公営の"苗場山頂ヒュッテ"(長野県側、定員100名)がそれで、間近に並んでる。
近づくと、山頂標識は遊仙閣の裏手にあり、それとおぼしき木の杭(くい)が空き地に立っているだけだった。

遊仙閣を横切って、今夜の宿"山頂ヒュッテ"に着く。(16:20)
ヒュッテは2階建。といっても2階へは簡易梯子が架かっているだけだ。
定員100人の割り振りを普通の旅館の部屋の広さで想像してはいけない。6畳の間に4人がうらやましい。ここでそんな贅沢は許されない。
"板間・長なり・コの字型・雑魚寝式・二段ベッド”とでもいうか。一人あたり「立って半畳寝て一畳」、の半分と思えばよい。
昨夜は130人の客だったそうな。どんな寝方?
今夜は40人。今日でよかった、のだが。
1、2階(というか、上段・下段)とも、隅っこの特等席はすでに予約済みで占領されている。ぼくたちは上段の空いたところに陣取ることにした。
ザックを置いてヒュッテを出る。しばし木道を伝って湿原散策だ。
散らばる池塘(ちとう)に浮かぶミヤマホタルイの穂がまるで田んぼの苗代(なわしろ)に見える。"苗場"のしからしめるところだ。
江戸期の学者・鈴木牧之(ぼくし)が記したその箇所をもう一度掲げる。
『そのさま人のつくりたる田の如き中に、人の植えたるやうに苗に似たる草生ひたり。苗代を半(なかば)とりのこしたるやうなる所もあり。これを奇なりとおもふに、此田の中に蛙・蜚蟲(いなご)もありて常の田にかはる事なし』(北越雪譜)
山鼻の崖っぷちに来た。下は深い山間(あい)だ。遥か南の連山は、いまにも沈む夕陽が反射して、幻想的な絵模様である。17:15。

陽が沈むと同時に寒くなった。気温もつるべ落しだ。この軽装では耐えられそうにない。急ぎ、ヒュッテに戻る。 (17:30)
18:00。夕食はカレーライス。
ビール小缶(450円)で乾杯し、ウイスキー水割り(350円)を食前酒とした。
うまいカレーライスだ。隣りの客に見習ってぼくもお代わりする。I君は「夜は少食なんだよ」と言って、ぼくの食べ終わるのを待つ。

「ブランデー、飲むかい?」
食事を終えしな、彼が言う。帳場でミネラルウオーター・ペットボトルを買う。350円。高い! ぼくのけげんな顔を察して、彼はこう説明した。
「このヒュッテは来週閉鎖して、来年の初夏まで休業だ。営業は半年足らずなんだよ。その間の食料や水やらはヘリコプターで運び上げる。1回80万円かけてね。人海戦術の手もあるけど、大した足りにはならんのだ」
『苗場カントリーロッヂ』の主(あるじ)の言だ。事情は知り尽くしている。
2階の板間"半畳"に戻って、彼愛用のブランデーを水割りにする。話がいつまでも…………
夜空
「星空見ようか!」
話の間合いでI君は言う。
消灯までまだ時間がある。ウインドブレーカーを羽織って木道へ出た。零度は下回っていようが、幸い無風だ。
夜空は一点の雲なし。満天の星と煌々たる半月のみである。月明かりがくっきりとぼくたちの後姿を影法師にしている。
大湿原は静かに眠っている。池塘も、草黄葉(くさもみじ)も、クマザサも。ぐるりの連山は闇がすっぽりと隠している。
冷たい空気が心地よい。何度も深呼吸した。
…………
白馬三山(3年前)の栂池(つがいけ)ヒュッテで見た星空を思い出した。
深夜1時過ぎ、トイレに起きる。もうすっかり静かだ。
《明日の天気はどうやら!》
安堵して、2階の雑魚寝布団に戻り、窓の外を見る。
「アーッ! ナナント!」
星、星、星。満天の星。
窓に鼻をこすりつけて夜空を見上げると、
《こんなに星があったのか!》
それも豆粒大ばかりではない。ピンポン玉にも見まがうような星がごろごろ、宙に浮いている。すい星が弧を描く。夢か?!
夕方からの豪雨が地上と空間の障害物をきれいに掃除してしまった。まさに夜空はSpace
Fantasy。沈黙のシンフォニーだ!
さらに見渡すと、満天の星の様々なこと。輝きも大きさも遠近も間隔もバラバラである。静寂のマスゲームだ。きっとこの大宇宙も、ぼくたちには悠久の夜空だが、実態は、熾烈なパワーゲームやスターウオーズが繰り広げられているのだろう。(第23話「白馬三山」)
いま、苗場山頂で、同じ夜空の下にいる。無数の星はそれぞれに瞬(またた)きあい、半月がやたらに明るい。ぼくは、あのときの劇的な感動とは違って、静かな気分に浸っている。
彼は不意につぶやく。
「ぼくたちは遠い過去を見ているんだよ」
「……?」
「いまきらめいているどの星も、何光年・何百光年前か知らんけど、すべて過去だよね。実際はもう消滅しているのもあるだろうし、ぼくたちには見えない新しいのも。宇宙は、過去・現在・未来が入り混じっているんだよ。そうじゃない?」
虚を突かれた。壮大なロマンではないか。たしかに悠久の宇宙から見れば、点にもならないぼくたちは一体なに? 逆に生の尊さが胸を打った。

どちらが歌いはじめたのだろう。
「日よ照り輝け晴れたり青空 われらは集いて学べり学べり……」
母校新宮高校の校歌を、天にとどけとばかり声張り上げた。
が、二人の歌声は、なんと蚊の泣き声にも値しない。月光の湿原に吸い込まれているのか、夜の黙(しじま)にかき消えているのか。静けさは微動だにしない。ぼくたちの感傷は苗場山の夜には無縁だった。
21:00、消灯。
I君が手際よく敷いてくれた急ごしらえの布団(毛布を二つ折りにして下に2枚、上に1枚)に入る。もちろん着の身着のまま。
身動きままならず、仰向けの夜は長かった。周囲のいびきに悩みつつ、朝までまんじりともしなかったはずなのだが……。
その朝、
「きみの寝息で安心したよ。ぐっすり寝られたようだね」
返す言葉がなかった。
日の出
10月15日(火)。
日の出(5:40?)にあわせて、5:00起床。天水のちょろちょろ水で洗顔。歯みがきは"禁止"で、できず。
ヒュッテを出ると、玄関の寒暖計は1℃。湿原は零下だろう。かなり風がきついから、体にはもっとこたえるはずだ。
ウインドブレーカーのフードをかぶって、適当な場所を探す。あたり一面霜が降りている。
木道を東へ危な危な5分ほど歩くと、遊仙閣の少し先に数人集まっていた。板敷の広場だ。
風が朝霧も雲も一掃したか、夜明け前の空は今日の快晴を約束している。寒い! みんな防寒姿で、手をポケットに突っ込んでいる。
5:30、日の出の気配はまだない。白んだ東の連山は稜線に朝雲の綿帽子をいただいたまま、黙っている。夜明けを待つ静けさか。
予定の5:40だが、まだである。……心なしか綿帽子の上がオレンジ色の線を帯びてきた。朝ぼらけというのだろうか。周囲は依然眠ったままだ。
5:56、連山の薄暗い綿帽子に胎動が伝わって紅(くれない)の胎児がちょこんと円弧の顔を出す。曙光はどんどん明るさを増し、東の連山から西に向かって広角に矢のように今日のはじまりを告げていく。
苗場山頂に朝が来た。

一瞬の日の出。円弧は見る間に真円になり、もう正視できない。
ついさっきまでどんよりだった湿原は、輝く草黄葉(くさもみじ)の息吹を見せる。点在するクマザサの群落は光線のかげんでさまざまな緑をなす。池塘はまだ黒い。
見上げると、苗場湿原を十重二十重(はたえ)に囲む山々はもう息づいている。今日の営みに入っているのだ。眩(まぶ)しい一日のはじまりである。
閑話休題 「水」
苗場山頂では水は貴重だった。ペットボトル1本350円はともかく……
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小用トイレ:「タンをはかないで下さい。天水は限られていますので」 |
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大用トイレ:「何度も水を流さないで下さい」 |
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手洗い:滴(しずく)がほんのちょろちょろ。指を湿す程度。 |
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風呂なしは言わずもがな。 |
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洗顔:「歯みがき禁止」。洗顔の水道水も天水で、ちょろちょろ。指につけて、目のふちだけ拭った。 |
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湿原散策
7:20、ヒュッテ出発。
初秋を思わせる陽光に湿原は輝いている。草黄葉がきれいだ。ところどころクマザサ群落の緑がいい。池塘(ちとう)に光が反射している。ナナカマドが遠慮深げに色を添える。
本当に広い。これが頂上か。大草原に開放感が漲(みなぎ)っている。空気がおいしい。
「苗場山神社に案内するよ。大したことはないんだけど」
そう言ってI君は歩きながら、苗場山が五穀豊穣を願う信仰の霊場でもあることを教えてくれる。
かなり歩いて木道が終わる。先は背の低いクマザサ生い茂る泥んこ道だ。
登山靴を泥だらけにして行き着くと、小さな社(やしろ)。藪の中に苗場山神社がぽつねんとしている。

ここが霊山信仰のメッカか。
《まがいなりにもいっぱしの社(やしろ)》との期待は裏切られたが、これ、苗場山に似合う。意味もなく思った。賽銭箱がない社も初めてだった。
スカッとした青空、朝霧なしでくっきりした景色。「きみのおかげ」を連発しあいながら、幸運に気をよくした。
あちらこちらへ、木道の尽きるまで、2時間近く散策を楽しむ。──小赤沢方面へ、樹林帯まで。赤湯方面へ、ケルンを過ぎて苔の美しい池塘まで。
どこで立ち止まっても彼方は360度のパノラマだ。遮るものはなにもないから、見渡すかぎりすべてが目に入っているのだろう。
東の日光白根山、皇海(すかい)山、赤城山。
浅間山から南に向かっては岩菅山、穂高、槍、立山、鹿島槍、五竜。
西は白馬三山、妙高、火打山。
そして南が日本海、佐渡島、だそうだ。
説明するI君の満足げな顔。ぼくは、「素晴らしい眺めだね!」と相づちしながら、漫然とパノラマを楽しんだだけだが、彼にとってはすごいひとときだったのだろう。



もうここを去ることになるのか。2時間ほど散策したというのにもの足りない。I君も同じ思いか。こんな幸運に恵まれたのは彼でも珍しいようだし、ぼくはもうありえない。"さよならだけが人生"なんて、変な文句が浮かんだ。
いよいよ下山開始。 (9:05)
閑話休題 「山頂のメロディ」
前日夕刻、頂上に辿り着いて雄大な湿原台地を眺めたとき、一夜明けて苗場の日の出を見たとき、そして、のんびり湿原散策を楽しんだとき…………
風の便りか、草黄葉(もみじ)のささやきか、大好きなメロディがぼくの耳に心地よかった。メロディが苗場山にいかにもマッチして、なんともいえない気分になった。
メンデルスゾーンのスコットランド交響曲≠セ。
彼が若き頃、スコットランドに旅したときの印象を、譜面に描いたのがこの曲という。
晩秋の苗場山頂湿原が、かの地とどれほど似ているのかいないのか、知る由もないが、いかにもこの曲、この山のためにあるような気がしてならなかった。
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