9:05、下山開始。
すぐが苗場山最大の難所である。
眼下はまさに急傾斜のガレ場。それもいやになるほどトリッキーだ。登りは胸突き八丁だったが、下りは恐怖である。
足場を一歩一歩確め、細心の注意を払いながら下りる。I君が後ろから安心させるように気を配ってくれる。

慣性の法則を思い出した。
電車が急停車したとき、立った乗客は前へなだれをうつ。なぜ? 走っている電車の中も、同じスピードで走っているのだ。電車は止まっても、電車の中は走っている。乗客は思わず前のめりになって何かにぶつかる……。
電車はそれでいい。この絶壁なら?
不注意で足を滑らせでもすれば、「おっとっと!」ではすまない。慣性のアクセルをどのように止めたらいいのか。ともすると、そんな危険も待ち構えているのだ。
ときどき、足場のいいところで立ち止まって上を振り返る。知らぬ間にかなり下りている。おずおずの一歩も、足せばなんとかまとまった長さだ。次の一歩も危なっかしいに変わりはないが、下りるにつれ、気分が落ち着いてきた。
風が止んでいる。穏(おだ)やかな陽気は頂上のときよりも上がって、半そでシャツでも暑い。
10:10、鞍部に下り立つ。
普通の2倍はかかったか。それでもI君は賞賛してくれる。
「心配することもなかったんだね。大したもんだよ、きみは!」
逆に彼としては、普段の慣性の法則を急ブレーキしながらだから、山男とはいえ大変だったろう。
この鞍部、昨日は霧の中だった。視界不良で、いまにも雨を覚悟したくらいだ。
こんなだったのか。どの方向も遠くまですべて見通せる。下方は紅葉真っ盛りだ。後方は苗場山の雄姿が輝いている。
「ここで眺めて、頂上が大湿原だと、だれが想像できるだろう! ミステリーだね」
I君も、見上げながら、つぶやく。
たしかに頂上に立って全容を見れば、
『まるで鯨の背のようにその厖(ぼう)大な図体(ずうたい)を横たえている』(深田久弥「日本百名山、32"苗場山"」、朝日文庫)
が正しい。
ここからの眺めはただ急登の山形(さんけい)で、《てっぺんはまだ向こうか?》と首を傾げたくなる格好である。
前掲書の次の叙述が気に入った。引用する。
『もし苗場が平凡な山であったら、ただの奥山として放っておかれただろう。ところがこれは人の目を惹(ひ)かずにはおかない。そして一ぺんその山を見たら、その名を問わずにはおられない特徴を持っている。すぐれた個性は、どんなに隠れようとしても、世にあらわれるものである』
《苗場山に登ったんだ。湿原のことも、池塘(ちとう)も草黄葉(くさもみじ)も、全部知ってる!》
後方の急峻を何度も見上げて、優越感がこみ上げた。
10:20、雷清水という水場に着く。湧き水が樋(とい)を伝って流れ落ちている。
冷たくておいしかった。ひしゃくで何度もお代わりした。
このあたり、雷によく出あうそうで、その名がある。
「これわかる?」
彼は腰にぶら下げているものを見せる。
「雷探知器だよ。いまのところ全然鳴らないから、よかったね」
10:50、神楽ヶ峰。
ずっと半そでで歩いている。それでも汗はほんのり。雷清水からここまでは登り返しであったが、ゆっくり漫歩で苦にならなかった。
なんとさわやかな山歩きか。この日、この天気に感謝しよう。
「どうやらこの調子でいきそうだ! きみのおかげだよ」
彼はそうぼくを持ち上げて、下山終了まで好天以外はありえないことを保証した。
しばらくゆるやかな下りが続く。山頂のさまざまを反芻(はんすう)するゆとりも出てきた。
風のメロディ、夜空、ヒュッテの雑魚寝、朝日、湿原散策、…………
11:15、小松原分岐。
近くにきれいな紅葉がある。
「ナナカマドだよ」
彼は探していたのをやっと見つけた様子だ。ぼくはうなって見とれる。ナナカマドの葉っぱはこんなだったのか。
分岐の道ばたに来て、登りで休んだと同じ場所に腰を下ろす。晴れわたった大空、眺めのすごさを霧の昨日と比べるのは野暮だ。
「こんなの持ってきてるんだよ」
『日本百名山』と『苗場の地図』を見せると、
「ぼくはこれ」
彼は意外な本を取り出した。『心のうた、日本唱歌集』

それにしてもこの見晴らし。二人とも童心に帰って、立ち上がる。はるか向こうの紅葉林に届けとばかり、昨夜湿原で歌った新宮高校の校歌を何度も合唱した。
中ノ芝から下ノ芝へ。木々の様相がどんどん変わって、高山帯から下界に近づいたことを景色が示している。オオシラビソもクマザサも、背が高くなってきた。変わらないのはガレ場とぬかるみ。
後ろからI君が話しかける。
「だいぶん前、同期の連中と日光のあたりをハイキングしたんだ。その時だれが言い出したか、富弘美術館に寄ることになった。星野富弘さんの書画だけど、感動したね。口筆なんだ」
「それで……?」
ぼくの興味を受けて、話す。
「中学校の先生で、クラブ活動のとき首に重症を負った。手足が全然だめになっちゃった。それからが彼の真骨頂だね。筆を口にくわえて文字も書くし、絵も描く。それが非凡なばかりか、芸術だ。手足が自由な人生は終わったが、別の人生を自ら切り開いたんだよ」
前を歩きながら、ぼくは耳を澄ましている。
「同情でもしようものなら、彼は笑うだろうね。彼の精神力と明るい生き方は、ぼくらの想像世界を遥か超えているんだよ」
口描きの絵画胸打つ蔦もみぢ
東尾G子
今日は10月15日。いまごろは、北朝鮮への拉致被害者5人が日本に到着しているはずだ。下りる道々このこともかなり話し合ったが、ここでは割愛する。
不思議の一つ。鳥の鳴き声がない。
昨日は曇天に風と霧だったから少しは納得したが、今日はこの好天・陽気にして、なぜ?
「1、2ヶ月前ならけっこう賑やかだったんだよ。バードウオッチングするくらいだから。冬に向かって別のところへ移動したようだね」
彼も一瞬けげんな顔をして慰めてくれたのが…………
不思議の二つ。登山者が非常に少ない。
前日は体育の日で、祝日。どの山もごった返したろう。とくに中高年の山歩き熱は、ひところぼくを異常にさせたくらいだから、もって知るべし。
この紅葉の時期、3年前に奥日光の戦場ヶ原へ行ったときも(第26話)、2年前に東北の安達太良山(第41話)や上州子持山(第42話)へ行ったときも、山の景色にこちらの数珠なりを眺められているようだった。
いま、近くの谷川岳、子持山、鹿俣山、三峰山、武尊山……はさぞかし。
日本百名山と名が付くだけで評判になるのに。苗場山もその名が付いているのに。そして10月のいま、盛りを過ぎたとはいえ、花の百名山でもあるのに。
昨日の登りも、予想に反してそんなに賑やかではなかった。ヒュッテの込みようといっても、登山者数では他山の比ではないだろう。
今日の下りは何人に出会ったろうか。10人を一人か二人超えた程度だ。
《苗場の景色はぼくたちのためにあった》などと誇大妄想にふけっていいのか。正直、もっと見直されて、
《谷川岳客の何分の一かでもこちらへ来てくれれば》
余計なことを考えてしまった。
中ノ芝の板敷休憩処で、中高年男女6人のパーティがナベを囲んではしゃいでいた。74歳になった男性の誕生祝だ。
彼、相好をくずしながら、
「うれしいね。家内と娘、それに娘の友だち。毎年ここで祝ってくれるんですよ」
記念写真を撮りっこした。

14:05、和田小屋登山口着。

5時間かけて下りた。ぼくはこれでも《よくやった!》だが、彼にとっては普段の3倍の遅さだ。「ありがとう!」としか表現できなかったが、意に反して彼は面白いことを言う。
「こういう歩き方もあるんだね。君に感謝するよ」
喜んでいいのかどうか。が、まんざら冗談でもなかったのだ。その証拠がこれ。後日彼から届いた長文詩(末尾に掲載)にこんな添書きがあったから。
「大兄の健脚を称える。漫歩の悟りありがとう」
15:00、越後湯沢駅。帰りも、和田小屋から40分で着いた。
「お茶でも飲もうよ!」
彼は強く引き止めたが、無理やり辞退した。この1泊2日の感動を、まだ余韻が冷めぬうちに静かに振り返りたかったのだ。
そのまま上越新幹線で東京へ。
座席に腰を下ろしてまぶたを閉じる。眼(まなこ)の奥はスクリーンに変わる。2日間の思い出が次々と現われる。
山頂の秋景色、登り下りの奮闘と満足感、I君との尽きぬ語らい……。
うっとりして、いちいちうなずいているうちに闇が来た。
…………
「東京ですよ!」
目を開けると、隣りの客が揺り起こしてくれていた。
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