いつぞやこんなことを書いた。
『山から”ホントウは”を取ってしまったら会話は味気なくなる。とくに山では優れて便利な言葉だ。ただ、これを繰り返すと白けてくるという、困った言葉でもある。
”ホントウ”でない現実の景色はいったい? たぶんに”ホントウ”の眺望は現実の”イマ”より格段に優れたものであり、”イマ”はいかに不運な状況か、その悔しい気持ちの発露であるようだ』(奥多摩・御前山、1999.5)
”ホントウは”の対極をなす表現はひとつではない。
”一番”、”最高”、”絶好”、”初めて”、その他各自のボキャブラリーに応じて、大仰なジェスチャーを交えて発せられる。その状況は間違いなく過去にない絶景であり、自分がいまいかにラッキーであるか、優越感を味わうべき立場にいるか、こみ上げる感情をすぐ仲間に伝えたい、仲間と共有したい、その現れであろう。
こうしたとき、「そうですか?」と語尾を上げて言葉を返してはならない。絶対的な相づち以外を求めているはずはないのだから。ただ、「スゴーイ!」「ホントー!」「…………!!」高く、強い声で応える。たとえ”一番”と思わなくても。
今回の奥日光は、『一番!』と叫ぶチャンスを逸した。すべてのシーンで一拍遅れた。どの場所でもみんながわれ先にあらゆる感嘆詞を発してしまったからだ。まさに何年に一度あるかなし、名勝奥日光の秋景色で、今日はその真打。

奥日光の朝 (1999.10.11)
涸沼(かれぬま)
10月11日(月)、奥日光の2日目。
8:20、日光アストリアホテルを出発。(標高1,420m)
光徳牧場を過ぎるとすぐ、ミズナラの林に入る。木漏れ日の山道が延々と続く。シラカンバの白が左右で光っている。溶岩の急坂も見事な自然に目を奪われて、苦にならない。
が、暑い! これには参った。30分ほど登ったところで全員上着を脱いだ。
もう少し登るとカラマツ林だ。ダケカンバとシラカンバが入り乱れている。背の高い笹薮を分けて進む。9:30、山王見晴し着。
さらに30分ほど紅葉のカラマツ林を登って……下りになったと思う瞬間、いろんな感嘆詞が飛び交った。眼下に涸沼(かれぬま)が広がっている。秋には似合わないような強い陽射しを浴びながら、すり鉢状の底へ下り立った。 10:00
東京ドームをいくつも合わせたような沼跡である。その西側の広っぱに居て、額や首筋の汗を拭きながら四囲を眺める。
夏のお花畑はとっくに終わり、禿げ禿げの沼跡は草花のモザイク模様。
遥か彼方、東から南にかけての連山は緑と黄色とワインレッドのパッチワークを呈している。空は雲ひとつない深い秋晴れ。
賑やかな喜びの声々を聞きながら、しばし時を忘れて景色の懐(ふところ)に吸い込まれた。
われに返ると、ここまで紅葉(もみじ)が散ってきている。
『裏を見せ表を見せて散る紅葉』
知ったかぶりで良寛和尚の句を披露したら、変な駄じゃれで混ぜっ返された。
切込湖
涸沼から切込湖への山道は本日のハイライトだった。
ミズナラとカラマツの林、ニッコウザサ……。紅葉の色彩に包まれて急坂を登る。路は枯葉に厚く敷き詰められて、サクサクと音を立てる。
日光といえば”けばけばしさ”とか”豪華絢爛”を連想していた。奥日光、とくにここは対照的に物静かである。茶の湯か琴の音が似合いそうな落ち着きがある。ほどほどの紅葉もその雰囲気を醸(かも)している。そんなことを思いながら切込湖に向かっていた。
右前方が開けて、濃く青い色模様。そう、コバルトブルーが下一面に広がった。まるでキャンバスに向かって巨大な絵筆で原色を殴りつけたようだ。
《なんだ、これ!?》
しばらく唖然として見入った。
ややあって、その濃い青絵の具の向こうに目をやると、一面まだらの緑。黄ばんでいたり、赤や白い斑点もある。
《こんな景色,初めてだ! しかし、なぜ?》
「切込湖だよ!」、会長のN氏がささやく。
《そうだ、切込湖!》
錯覚から目が覚めた。コバルトブルーはまさに空。湖水向こうの斑(まだら)は紅葉の山。湖面の逆景だった。
「空も山も下にある! なんと豪勢!」
そうなのだ。湖水の絵模様は、見渡す本物の景色よりも、湖岸の額縁を与えた分、よりきれいであった。
切込湖がくびれて隣は刈込湖。歩を進めるにつれ、双子の湖が目に見えて変化する。暫らく湖水の絵巻に浸った。
そして笹藪の下り。下り立つと刈込湖畔だった。
刈込湖
刈込湖の景色は地味だ。向こうの山も湖水もどこかで出あった景色と変わらない。最前、上から眺めた切込湖の色彩があまりにも強烈過ぎたからかもしれない。その余韻が残っている分、刈込湖にはもったいない話だ。
ただ天気が抜群だから、静かな湖面と山の紅葉と湖畔でくつろぐ登山客がさわやかな秋を描いていた。
しかしなんと静か、時が止まっている! 昨日の奥日光入口の喧騒とはまったく無縁の世界だ。
遠くの小鳥のさえずりですら、鮮やかに聞こえてくる。だれかが投げた石ころが「ポチョン」と湖面を揺らせて輪が広がった。女性の感嘆詞もここではささやき声だった。
この二つの小さな湖。三ツ岳噴火による溶岩で生じた堰止湖だそうである。山の本にもこうあった。
『西も東も塞がれているので、水の出口はないが、水位は殆んど一定している不思議な湖だ。観光地化している奥日光の中でも、ここだけはとり残されたような静けさが漂っている』
少し早いが、木陰にシートを広げて昼食にした。 11:15
ホテルの弁当はおにぎり大判2個。さほど空腹ではないが、日光の米はうまい! おいしく1個いただいた。残りは大事にしまって持ち帰ろう。
12:00、刈込湖を後にする。
木漏れ日射(さ)す自然林を行く。ほどよい暑さはTシャツ姿にちょうどよい。出る汗はそよ風に消えてゆくからぬぐう必要はない。
この一帯、バードウオッチングの要所らしく、小鳥たちの姿が見えるわけではないが、さえずりが飛び交っている。
斑(まだら)の林に木々の白が冴えている
「ダケカンバですか? シラカンバですか?」
「違います。コメツガです」
《白塗りの木が他にもあったのだ!》
陽光に輝くヒロハカツラを見上げて、一気にシャッターを切った。
《ウン!》
納得したわりには…………

湯元
刈込湖から40分ほど山を下って湯元に着いた。林の中から下界の集落が見えると同時に硫黄の臭いがぷんとした。下りたら水たまりに乳濁色の湯が吹き出ていた。
バス停への途中、湯元温泉寺(でら)を通った。鐘を突いている。響きは周辺の自然に同化して、心を和ませるとともに季節の移ろいを伝えていた。(2日目のスナップは、ここをクリック)。
〔メモ〕
今回も交通費をずい分節約できた。
日光ミニフリーパス |
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2日間有効のこの切符は、浅草⇔日光の電車、湯元往復のバスを乗り放題で 4,940円。おまけにみやげ物割引券4枚付だ。
アストリアホテル一泊 17,000円は、「この季節だから、まあまあ」だそうである。昨夜の食事は岩魚(いわな)の一夜干に湯葉三昧(ざんまい)の豪華料理で、ビールと熱燗は飲み放題。おまけに今日、大判おにぎり2個の弁当付……まあよしとするか。
第26話「戦場ヶ原、切込湖・刈込湖」 おわり
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