2003年元旦 豊受神社、清瀧神社
昼過ぎ二人で出発した。風がきつい、寒い。マンション周辺は静かだ。
一応浦安の神社巡りを頭に入れて、旧市街の路地裏を歩き回った。
境川がときどき顔を出し、それを上流に辿る感じだ。山本周五郎が青べか物語でこの辺にもふれている。いま当時とは裏腹に、川面はよどむにまかせているようで、べか舟がところどころに放置されている。

豊受神社 |

清瀧神社 |
狭い路地は概ね二人並んでは歩けない。古びた佇まいで、風情らしきところもある。
普段なら30分もあれば十分な距離を、1時間かけて猫実(ねこざね)の豊受(とようけ)神社に着く。浦安最古の神社という。
参拝の列は境内から外へ50mほどあふれている。それでも20分で賽銭箱へたどり着いた。二拝二拍手一拝。
堀江の清瀧(せいりゅう)神社へも、日ごろは歩かない路地裏を伝う。本当に静かだ。大通りでは厳しい風もここは無縁。のどかな陽(ひ)だまりだ。
各戸の注連(しめ)飾りも昔風で、ぼくの家のような紙っペらは少ない。小さな国旗が玄関ごとに立ててある。おじいさんが、おばあさんが、にこやかに「おめでとうございます」と、あいさつしてくれる。猫が尻尾を揺らせながら悠然と歩いている。
きょろきょろしながら、さっきよりもっとゆっくり歩いた。
清瀧神社は地下鉄浦安駅に近い宮前通りにあり、ここも道路に沿って参拝客が1ブロックほど列を作っている。ローカルの神社だから、多いとも少ないとも思わず後ろに並ぶ。20分程度で神前。大鈴を鳴らして、賽銭の何倍かを神様にお願いした。
両神社の参拝を通して、二、三の知人に遇(あ)っただけだった。日ごろ隣近所ととくに近しく付き合っているではなし、各種コミュニティーに積極的に参加しているでもないので、当然なのだろうが……。
であっても、和歌山県新宮の田舎ではそうはいかなかった。わずらわしくていやだった。が、こちらのこういうのもどことなく落ち着かない。
自由気ままな過ごしやすさを棚に上げて、贅沢(ぜいたく)な愚痴が出てしまった。
二日 深川不動尊、富岡八幡宮
朝食は元旦に引き続き雑煮。昼は白と草餅を一つずつ焼く。
暮れから朝昼はもっぱら餅だ。茨城の親戚が毎年自家製を送ってくれる。ありがたい。1月中旬までは、少なくとも朝は餅。パン食の出番はない。
餅は重宝だ。焼いてそのまま食べてよし、安倍川よし、黄な粉餅よし、雑煮、力うどん……幸せな日々である。
昼食後は早速例年のルートとなる。門前仲町の富岡八幡宮と深川不動尊への初詣だ。快晴無風、元旦よりはるかに暖かい。さぞかし神社仏閣は善男善女でごった返していることだろう。
門前仲町は地下鉄東西線浦安駅から快速で3駅目。自宅から、バスと地下鉄を乗り継いでも、40分ほどでゆうゆう着いてしまう。
バスも電車もガラガラ……、とここまでは正月ののどかな気分に浸る。
門前仲町に着いて様相がガラリ一変した。改札口からして違う。新年特有のごった返しだ。洋装、和服、晴れ着姿。老若男女すべて初詣姿で、これから参る人、帰る人、大賑わいどころか、芋を捏(こね)ねるとはこのことだ。はぐれないように、妻と声をかけあって改札の喧騒を通過した。
駅出口を門前街に入って、不動尊へ向かう。
あれ? 一瞬とまどった。去年より人出が少ないじゃないか。駅構内の人いきれがうそのようだ。勘が狂った。いつもだと、境内は満員電車さながらで、すぐそこの賽銭箱の遠いことったら。それをいつもの年頭行事と心得ているから、拍子抜けした。
山門をくぐり、五列縦隊で不動堂へと歩を進める。深川不動尊は成田山新勝寺の別院で由緒正しい名刹である。都会では有名なお寺なのだ。ぼくには志ん生の落語の枕でもおなじみである。
ねんごろに参拝できた。あとは妻につられておみくじ。今年はまあまあの運勢で、ひと安心……。
深川不動尊と富岡八幡宮はなにほども離れていない。七福神が並ぶ裏通りをゆっくり10分ほど歩く。八幡宮近くでぐるっと永代通りの正面へまわり、正門を入る。
こちらも予想外だ。昨年、一昨年のようなあふれる賑わいはなかった。境内の露店はほどほどに景気よさそうだが、ぼくの目には少々もの足りない。多分元旦はごった返したのだろう。明日もそうなのだろう。今日は合い間の小休止か。それともさっきの過密改札口からして、もうラッシュは過ぎたのか。
横綱力士碑の近くが古札納め所になっている。昨年のをお返しし、ついでに力士碑にも初詣。12日が初日の初場所、貴乃花や如何。朝青龍は場所後、この碑に仲間入りできるか。

三日 佐野厄除大師
今朝は早い。夫婦して6時半に出発。7時半、東京丸の内発のツアーバスに乗る。栃木県佐野厄除大師が目的地。帰りは途中いちご狩りをして、益子焼初売り市に立ち寄ることになっている。
前日の小春日和とは打って変わって、暮れから一番の厳しい寒さだ。さすが人気の初詣ツアーで、詣で客は一人のキャンセルもなし。一行88人を44人ずつのバス2台に分け、添乗員、ガイド付で、満席。
行きは予想どおり渋滞なし。9時半にはお寺近くの駐車場に着いた。
バスの中は軽装でも快適だったとはいえ、外は雪こそちらついてはいないが、霜柱が立っている。用意の防寒具で重装備した。
境内に入るとかなり長い参詣客の列だ。「人気のお寺だから」、と半分納得して後尾に並ぶと、「厄年の方の列ですので」。あわてて列を外れ、本堂へ急ぐ。
一般客の列は寂しいくらいだ。もっとも10時前だから、
「早すぎるせいじゃないか」
妻とつぶやきあい、それでも疑心暗鬼で列に加わる。
賽銭箱まで滞(とどこお)りなし。おかげで寒さに震えることもなく、願いごとは前日のをゆっくり繰り返すことができた。

閑話休題
三箇日とも、ぼくが参拝した神社仏閣は、どれも予想したより詣で客はいまいちだった。いずれ、「初詣情報」が明らかにしてくれるだろう。
ぼくの感想が正解にならないことを願うが、もしそうなら、ぼくには快適な「初詣のはしご」だが、社寺には気の毒だなあ。
今年は神様や仏様たちにとって、「俗界からの帰依・詣で」が少ない分、ご利益も与えやすかろう。いや、「お賽銭」も今年はきついかな。景気が落ち込みっぱなしの昨今、下界同様、天界もご苦労されているのでは……。
初詣をすべて終えた。
佐野厄除大師から30分ほどバスが走って、田舎の大農園に着く。
氷点下、寒風。胴震いしながら栃乙女のイチゴ園に入る。50棟(むね)以上はある屋内イチゴ園の一角である。「30分のイチゴ狩り、食べ放題」。
約30m長で、100列は並んだ畝(うね)。その合い間のここかしこにそれぞれ入り込み、足元の畝に適当なのを見つけて、つまんでほうばる。案内人の助言に従って、多少土のついたのもものかは、水洗いしたりなにかで拭ったりするわけではなく、そのまま口に入れる。妻もみんなもそうやっている。
食べられないものだ。それに口の中がじゃごじゃごしてきたような気もする。20個くらいでやめた。
いまが旬なのかどうか。まだ小粒が多く、真っ赤に熟れたのが少ない。温室ではあるが、外がここしばらく寒かったせいなのだろうか。

昼食は宇都宮のマンモスレストランで、「本場の餃子・チャーハン食べ放題」。焼き餃子2種類と水餃子のバイキングに、大皿山盛りチャーハンだ。
20、30代のときが懐かしくなった。なぜかビールを飲みたいとも思わず、焼き餃子1人前とチャーハン小盛り1杯でジ・エンド。
本来ならもったいなくも、情けない話である。本場ものがまずかったわけではなく、体調に問題があるでもない。食い意地については変な自信を持つぼくとしては、理由がわからない。強いて言えばビールを飲まなかったせいだ。やはり、餃子はビールのつまみに限る。
帰りのみやげ物屋立ち寄りは、「益子焼陶器市」。バスは本道を大きく離れて、町はずれのショッピングセンターに向かう。
手頃な急須があった。それ用の湯飲みも買った。明日はいい煎茶を入れて……、楽しみが増えた。
本日のスケジュールはすべて完了。さあ帰り。
ガイドがしきりに前ぶれする。「一応8時半に東京丸の内到着を予定しているのですが、無理のようです……」。
昨年は深夜のご帰還だったそうだ。午前様もままあるとか、年末年始のバスツアーはガイド泣かせとか、他の新春ツアー帰途悲劇など、数々あげつらう。できるだけ、ぼくたちの旅が特別の悲運でないことを、暗にマインドコントロールしている。
客への思いやりの発露だろうが、これだけ暗示されると、「少なくとも8時半に着けるはずがない」とみんな観念した。「午前様にならないように」、と願う気持ちになった。
たしかに東北自動車道から首都高速に入りかけで、はるか遠くまで渋滞……これは事故渋滞だった。30分ほどで抜けた。
こんなこともあるのか。それ以外はこれといった渋滞なし。結論的に8時半はおろか、7時丸の内着。帰宅後、ビデオ予約していた9時からのお目当て番組は、ひと風呂浴びたあと、おとそ気分で直接楽しむことができた。
他所のツアー客には恐縮だが、余計な一言。
ぼくたちが自宅に着いたころ、つまり正月3日の午後8時過ぎ。中央道、関越道では60km以上、東名とどこかの高速道でも50km以上の渋滞が報じられていた。
…………
今回の「佐野厄除大師初詣ツアー」は、一人6,980円だった。この値段だけで、ご利益を授(さず)かった気がする。
旅行社の収入は、6,980円 x 88人 = 614,240円。
添乗員、バス2台(ガイド付)、イチゴ狩り、餃子・チャーハン食べ放題で、88人の客を丸一日楽しませてくれた。思わぬ早期帰還のおまけまで付いて。
バス会社も、イチゴ農園も、宇都宮のレストランも、それなりに儲かったのであってほしい。
「柿の話」をPart3として掲載することにした。
正月は楽しい餅三昧。焼いたり雑煮にしたりして、おいしくいただきながら、「季節の美味」に思いをはせた。なんといってもぼくの王様は「柿」だ。中秋から晩秋にかけて。
いま、シーズンは過ぎたところだが、好きな餅を食しながら、柿への思いを綴(つづ)りたくなった。一本立てにするほどの量でもなし、このエッセイに飛び入りさせた。
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