Part1 前置き Part1朗読(10'34") on

 2003年正月三箇(が)日は、初詣をはしごした。
 会社は12月27日を仕事納めとしたから、長い正月休みだ。
 この間に、まだ手つかずの紀行文(11月のイタリア旅行)に腰を据えてかかるつもりだった。大枠の準備はでき、関係書籍も図書館で借りてある。あとはひたすら書きまくる、と意気込みつつ、1行も前に進まなかった。
 大晦日(みそか)の紅白歌合戦は全部見た。何年ぶりだろう、こんなことは。「楽しかったね」妻と語らいながら年越しそばをいただいた。
 初日の出はなさそうだから、昼までゆっくりしよう。午後は浦安の神社巡り。
 ということにして、ぼくは寝床へ。ラジオで除夜の鐘を聞きながら寝入ったのだった。

 浦安に引っ越して25年たつ。26年目を迎える年越しのつれづれに、前段としてわが家周辺の浦安≠紹介する。 
 浦安に来た当時は、まだ「千葉県東葛飾郡浦安町大字??字??」。ところ番地が長くて困った。
 海岸の大規模埋立て工事たけなわだった。その一角で、海岸から少し奥まったところの高層マンモス・マンションに住みはじめたのが25年前だった。
 広い中庭を、全部で1100世帯の12階建て6棟が丸く取り囲んでいる。ぼくの住まいはその11階で、日当たりのいい南向きだ。無競争で入居できた。

高層マンション

 東京虎ノ門の勤務先へは、バスと地下鉄を乗り継いで、1時間と少々で通勤できるようになった。それまでは自衛隊習志野駐屯地に近い船橋市習志野台の社宅で、会社まで2時間近くを要していた。
 引っ越して間もなく、米国駐在を命じられて4年ほど留守したが、その間をのぞき、ずっとこのマンションに住んできた。
 入居してから数えて25年間、浦安の変貌たるや、目もくらむばかりだ。思い出すだけでも、こんな具合である。
  • 市制施行(昭和56年=1981年4月1日)
  • 地下鉄東西線の「浦安駅」快速停車
  • 首都高速道路の浦安への延長および東関東自動車道の新設・接続、湾岸道路357号の整備拡充
  • 近代的市役所、文化会館、公民館、図書館、運動公園、交通公園、郷土博物館、明海大学、順天堂大学浦安病院
  • 京葉線新浦安駅と舞浜駅
  • 東京ディズニーランド、イクスピアリ、ディズニーシー
  • ホテルラッシュ
     舞浜・・シェラトン・グランデ、東京ベイヒルトン、東京ベイホテル東急、ホテルオークラ東京ベイ、サンルートプラザ東京
     新浦安・・東京ブライトン、オリエンタルホテル
  • 浦安海岸と海岸公園の整備
  • スーパーダイエー、モナ、イトーヨーカドー

 いい町になった。便利だし、青べか物語の明治・大正クラシックと、ディズニーに代表される洋風モダンがほどよく溶け合っている。老若男女、全世代がまんべんなくいて、にぎやかだし、外人も多い。
 と、市長の談話のようだが、正直ぼくはこの町を気に入っている。
 10年ほど前に、市内鉄鋼団地にテニススクールができた。妻と一緒に通って、テニスにはまっている。浦安は市営のテニスコートが多いから、草テニスも楽しめる。ぼくたちのマンションにも2面ある。

イクスピアリ 数年前(2000年夏)に開業したイクスピアリは、ずっとぼくのお気に入りだ。南欧の港町をイメージした楽しい娯楽街で、若者にも人気が高いし、中高年もくつろげる……万人向きである。
 レストラン、パーラー、食料店、ファッション、エンターテインメント、なんでもそろっている。地の利を生かして、最初は随分通った。『中高年のイクスピアリ!』というかなり大きなホームページを作ったほどだ。団体ご一行を何度か案内もした。
 第一、この中にシネマコンプレックスのあるのが、こたえられない。映画ファンのぼくを狂喜させた。16の映画館を有するシネコン。2年半で50回は通った。うそではない。シニアだから1回千円で、6回入ると無料券を一枚もらえる。大概の映画はここで上映されるから便利この上ない。往復1時間のウォーキングも、多少は健康に寄与しているだろう。
 …………

 さて、今年は浦安在住26年目にあたる。
 例年だと門前仲町の富岡八幡宮、ついでに深川不動尊に参って年のはじまりだが、今年はこんな具合になった。

元旦 浦安市 豊受神社、清瀧神社
二日 江東区門前仲町 深川不動尊、富岡八幡宮
三日 栃木県佐野市 佐野厄除大師

 暮れからいつにない寒さが続いているが、雨や雪がないだけ助かった。降ったなら、それこそ寝正月を決め込むことになりそうだが、天気がよいだけ外に出たくなる。
 テレビの予報に気をよくしながら、年の初めの良き過ごし方を思い描いたのだった。

  • 浦安海岸を散策して、静かな海を眺める。
  • 水元公園か六義(りくぎ)園あたりへドライブ。
  • 丸の内と汐留のビル見物。
  • 葛西臨海公園から夢の島公園へかけてサイクリング。
  • イクスピアリで映画「ギャング・オブ・ニューヨーク」。

    ゴルフは興味が失せたし、テニスの予定はない。
    一日中おとそ気分でオーディオもなんだし……。
    三箇日しか意味のないものは?

  初詣のはしごは、その果ての平凡な結論である。前置きが長くなりすぎた。

Part1朗読(10'34") on

Part2 本論 Part2朗読(20'22") on

 2003年元旦 豊受神社、清瀧神社

 昼過ぎ二人で出発した。風がきつい、寒い。マンション周辺は静かだ。
 一応浦安の神社巡りを頭に入れて、旧市街の路地裏を歩き回った。
 境川がときどき顔を出し、それを上流に辿る感じだ。山本周五郎が青べか物語でこの辺にもふれている。いま当時とは裏腹に、川面はよどむにまかせているようで、べか舟がところどころに放置されている。

豊受神社
豊受神社
清瀧神社
清瀧神社

 狭い路地は概ね二人並んでは歩けない。古びた佇まいで、風情らしきところもある。
 普段なら30分もあれば十分な距離を、1時間かけて猫実(ねこざね)の豊受(とようけ)神社に着く。浦安最古の神社という。
 参拝の列は境内から外へ50mほどあふれている。それでも20分で賽銭箱へたどり着いた。二拝二拍手一拝。

 堀江の清瀧(せいりゅう)神社へも、日ごろは歩かない路地裏を伝う。本当に静かだ。大通りでは厳しい風もここは無縁。のどかな陽(ひ)だまりだ。
 各戸の注連(しめ)飾りも昔風で、ぼくの家のような紙っペらは少ない。小さな国旗が玄関ごとに立ててある。おじいさんが、おばあさんが、にこやかに「おめでとうございます」と、あいさつしてくれる。猫が尻尾を揺らせながら悠然と歩いている。
 きょろきょろしながら、さっきよりもっとゆっくり歩いた。
 清瀧神社は地下鉄浦安駅に近い宮前通りにあり、ここも道路に沿って参拝客が1ブロックほど列を作っている。ローカルの神社だから、多いとも少ないとも思わず後ろに並ぶ。20分程度で神前。大鈴を鳴らして、賽銭の何倍かを神様にお願いした。

 両神社の参拝を通して、二、三の知人に遇(あ)っただけだった。日ごろ隣近所ととくに近しく付き合っているではなし、各種コミュニティーに積極的に参加しているでもないので、当然なのだろうが……。
 であっても、和歌山県新宮の田舎ではそうはいかなかった。わずらわしくていやだった。が、こちらのこういうのもどことなく落ち着かない。
 自由気ままな過ごしやすさを棚に上げて、贅沢(ぜいたく)な愚痴が出てしまった。 

 二日 深川不動尊、富岡八幡宮

 朝食は元旦に引き続き雑煮。昼は白と草餅を一つずつ焼く。
 暮れから朝昼はもっぱら餅だ。茨城の親戚が毎年自家製を送ってくれる。ありがたい。1月中旬までは、少なくとも朝は餅。パン食の出番はない。
 餅は重宝だ。焼いてそのまま食べてよし、安倍川よし、黄な粉餅よし、雑煮、力うどん……幸せな日々である。
 
 昼食後は早速例年のルートとなる。門前仲町の富岡八幡宮と深川不動尊への初詣だ。快晴無風、元旦よりはるかに暖かい。さぞかし神社仏閣は善男善女でごった返していることだろう。
 門前仲町は地下鉄東西線浦安駅から快速で3駅目。自宅から、バスと地下鉄を乗り継いでも、40分ほどでゆうゆう着いてしまう。 
 バスも電車もガラガラ……、とここまでは正月ののどかな気分に浸る。
 門前仲町に着いて様相がガラリ一変した。改札口からして違う。新年特有のごった返しだ。洋装、和服、晴れ着姿。老若男女すべて初詣姿で、これから参る人、帰る人、大賑わいどころか、芋を捏(こね)ねるとはこのことだ。はぐれないように、妻と声をかけあって改札の喧騒を通過した。 

深川不動尊
富岡八幡宮

 駅出口を門前街に入って、不動尊へ向かう。
 あれ? 一瞬とまどった。去年より人出が少ないじゃないか。駅構内の人いきれがうそのようだ。勘が狂った。いつもだと、境内は満員電車さながらで、すぐそこの賽銭箱の遠いことったら。それをいつもの年頭行事と心得ているから、拍子抜けした。 
 山門をくぐり、五列縦隊で不動堂へと歩を進める。深川不動尊は成田山新勝寺の別院で由緒正しい名刹である。都会では有名なお寺なのだ。ぼくには志ん生の落語の枕でもおなじみである。
 ねんごろに参拝できた。あとは妻につられておみくじ。今年はまあまあの運勢で、ひと安心……。

 深川不動尊と富岡八幡宮はなにほども離れていない。七福神が並ぶ裏通りをゆっくり10分ほど歩く。八幡宮近くでぐるっと永代通りの正面へまわり、正門を入る。
 こちらも予想外だ。昨年、一昨年のようなあふれる賑わいはなかった。境内の露店はほどほどに景気よさそうだが、ぼくの目には少々もの足りない。多分元旦はごった返したのだろう。明日もそうなのだろう。今日は合い間の小休止か。それともさっきの過密改札口からして、もうラッシュは過ぎたのか。
 横綱力士碑の近くが古札納め所になっている。昨年のをお返しし、ついでに力士碑にも初詣。12日が初日の初場所、貴乃花や如何。朝青龍は場所後、この碑に仲間入りできるか。

横綱力士碑

 三日 佐野厄除大師

 今朝は早い。夫婦して6時半に出発。7時半、東京丸の内発のツアーバスに乗る。栃木県佐野厄除大師が目的地。帰りは途中いちご狩りをして、益子焼初売り市に立ち寄ることになっている。
 前日の小春日和とは打って変わって、暮れから一番の厳しい寒さだ。さすが人気の初詣ツアーで、詣で客は一人のキャンセルもなし。一行88人を44人ずつのバス2台に分け、添乗員、ガイド付で、満席。
 行きは予想どおり渋滞なし。9時半にはお寺近くの駐車場に着いた。
 バスの中は軽装でも快適だったとはいえ、外は雪こそちらついてはいないが、霜柱が立っている。用意の防寒具で重装備した。
 
 境内に入るとかなり長い参詣客の列だ。「人気のお寺だから」、と半分納得して後尾に並ぶと、「厄年の方の列ですので」。あわてて列を外れ、本堂へ急ぐ。
 一般客の列は寂しいくらいだ。もっとも10時前だから、
「早すぎるせいじゃないか」
 妻とつぶやきあい、それでも疑心暗鬼で列に加わる。
 賽銭箱まで滞(とどこお)りなし。おかげで寒さに震えることもなく、願いごとは前日のをゆっくり繰り返すことができた。

佐野厄除大師

閑話休題
 三箇日とも、ぼくが参拝した神社仏閣は、どれも予想したより詣で客はいまいちだった。いずれ、「初詣情報」が明らかにしてくれるだろう。
 ぼくの感想が正解にならないことを願うが、もしそうなら、ぼくには快適な「初詣のはしご」だが、社寺には気の毒だなあ。
 今年は神様や仏様たちにとって、「俗界からの帰依・詣で」が少ない分、ご利益も与えやすかろう。いや、「お賽銭」も今年はきついかな。景気が落ち込みっぱなしの昨今、下界同様、天界もご苦労されているのでは……。

 初詣をすべて終えた。
 佐野厄除大師から30分ほどバスが走って、田舎の大農園に着く。
 氷点下、寒風。胴震いしながら栃乙女のイチゴ園に入る。50棟(むね)以上はある屋内イチゴ園の一角である。「30分のイチゴ狩り、食べ放題」。
 約30m長で、100列は並んだ畝(うね)。その合い間のここかしこにそれぞれ入り込み、足元の畝に適当なのを見つけて、つまんでほうばる。案内人の助言に従って、多少土のついたのもものかは、水洗いしたりなにかで拭ったりするわけではなく、そのまま口に入れる。妻もみんなもそうやっている。
 食べられないものだ。それに口の中がじゃごじゃごしてきたような気もする。20個くらいでやめた。
 いまが旬なのかどうか。まだ小粒が多く、真っ赤に熟れたのが少ない。温室ではあるが、外がここしばらく寒かったせいなのだろうか。

イチゴ狩り

 昼食は宇都宮のマンモスレストランで、「本場の餃子・チャーハン食べ放題」。焼き餃子2種類と水餃子のバイキングに、大皿山盛りチャーハンだ。
 20、30代のときが懐かしくなった。なぜかビールを飲みたいとも思わず、焼き餃子1人前とチャーハン小盛り1杯でジ・エンド。
 本来ならもったいなくも、情けない話である。本場ものがまずかったわけではなく、体調に問題があるでもない。食い意地については変な自信を持つぼくとしては、理由がわからない。強いて言えばビールを飲まなかったせいだ。やはり、餃子はビールのつまみに限る。

 帰りのみやげ物屋立ち寄りは、「益子焼陶器市」。バスは本道を大きく離れて、町はずれのショッピングセンターに向かう。
 手頃な急須があった。それ用の湯飲みも買った。明日はいい煎茶を入れて……、楽しみが増えた。

 本日のスケジュールはすべて完了。さあ帰り。
 ガイドがしきりに前ぶれする。「一応8時半に東京丸の内到着を予定しているのですが、無理のようです……」。
 昨年は深夜のご帰還だったそうだ。午前様もままあるとか、年末年始のバスツアーはガイド泣かせとか、他の新春ツアー帰途悲劇など、数々あげつらう。できるだけ、ぼくたちの旅が特別の悲運でないことを、暗にマインドコントロールしている。
 客への思いやりの発露だろうが、これだけ暗示されると、「少なくとも8時半に着けるはずがない」とみんな観念した。「午前様にならないように」、と願う気持ちになった。
 たしかに東北自動車道から首都高速に入りかけで、はるか遠くまで渋滞……これは事故渋滞だった。30分ほどで抜けた。
 こんなこともあるのか。それ以外はこれといった渋滞なし。結論的に8時半はおろか、7時丸の内着。帰宅後、ビデオ予約していた9時からのお目当て番組は、ひと風呂浴びたあと、おとそ気分で直接楽しむことができた。
 
 他所のツアー客には恐縮だが、余計な一言。
 ぼくたちが自宅に着いたころ、つまり正月3日の午後8時過ぎ。中央道、関越道では60km以上、東名とどこかの高速道でも50km以上の渋滞が報じられていた。
 …………

 今回の「佐野厄除大師初詣ツアー」は、一人6,980円だった。この値段だけで、ご利益を授(さず)かった気がする。
 旅行社の収入は、6,980円 x 88人 = 614,240円。
 添乗員、バス2台(ガイド付)、イチゴ狩り、餃子・チャーハン食べ放題で、88人の客を丸一日楽しませてくれた。思わぬ早期帰還のおまけまで付いて。
 バス会社も、イチゴ農園も、宇都宮のレストランも、それなりに儲かったのであってほしい。

 「柿の話」をPart3として掲載することにした。
 正月は楽しい餅三昧。焼いたり雑煮にしたりして、おいしくいただきながら、「季節の美味」に思いをはせた。なんといってもぼくの王様は「柿」だ。中秋から晩秋にかけて。
 いま、シーズンは過ぎたところだが、好きな餅を食しながら、柿への思いを綴(つづ)りたくなった。一本立てにするほどの量でもなし、このエッセイに飛び入りさせた。

Part2朗読(20'22") on
「Part3 柿の話」へつづく
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