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ぼくのAAネット2008-2 「シニアの小函」 |
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2007.11.19
園芸のみなさん、メアリーちゃんの近況報告です。
3日前の頒布会でいただいて帰り、
1.用土を水で濡らしてから鉢に七分目まで入れ、メアリーちゃんを中ほどに埋め込みました。
2.ぐるりにたっぷり水をやりました。
3.毎朝繰り返しています。そして、
4.日陰に置いていたのですが、仰せのとおり今日から日向です。
5.今朝、エードボールを8粒、メアリーちゃんの周囲に5aほどの深さで埋めました。

なんとかけなげに育っているようです。問題は、
数日後に10日間ほど留守すること。
その期間分の水をドボドボに与えるわけにもいきませんので、「なんとかご無事で!」と、願をかけることにしました。
秘策があれば、ご伝授のほどを。
2008.02.04
今朝8時に撮影しました。生命力とかわいらしさに感心!

…………
ついでに雪の昨日の惨めを一つ。
10年近く前になりますが、山歩きに夢中になっていた頃、立派な雪(にも役に立つ)靴を愛用していました。
それを久方ぶりに下駄箱から取り出して履いてみました。ぼくなりに雪の日を楽しもうと。
10分ほどスーパーダイエー方面に歩いて、今川橋をこえようとしたとき、片方の靴底がペロリとはがれ落ちてしまいました。「どうしようか」決断もつかないまま、ギッコンバッコン十数歩進むともう片方も……。
雪の賛歌どころではなく、引っ返さざるを得なくなりました。バスに乗ればいいものを、裸足に毛の生えたような状態で、転ばないことだけに余分な神経を使いながら、よちよち歩きで家にたどり着いたことでした。まさに雪の惨禍。
感覚を失った足先を風呂の湯につけること20分……、いい(?)思い出になりました、とさ。
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ソコツモノより。
只今解決しましたので、うれしさのあまり披露します。
1.本日午後、中央図書館から帰るとき、(当たり前のことですが)自転車のわっぱカギ(鎖錠)を外しました。(14:20)
カギは前の買い物カゴに、キーホルダーは上着のポケットに入れ(たつもりで)、ほど近いOK(スーパー)に立ち寄りました。
2.駐輪場に自転車をおいてわっぱカギをカシャンと閉め、入口まで歩きながら、ポケットの中を確認しました。「アレ?」キーホルダーがない。あわてて他のポケットやリュックを家探し……。
中央図書館前でカギを外したあと、キーホルダーをポケットに入れ損ない、その場に落としたに違いありません。
3.あわてて図書館前の自転車置き場に引っ返しました。が、その辺どこにもキーホルダーは見当たりません。
4.図書館カウンターへ行って調べてもらいましたが、「なし」。
5.しょげかえってOKストアまで引っ返し、そこから、自転車を買ったスーパーダイエーの自転車屋まで、カギのかかった自転車を引きずることになりました。小型で大した重量ではありませんが、くたびれました。
6.自転車屋で、わっぱ錠を切り取ってもらいました。「だんなだけじゃないですよ」と、店の主人はなぐさめ顔。
7.やっと乗れるようになった自転車に乗って葛南警察署へ。その旨届けました。
8.家に帰って念のため、もう一度図書館へ電話で問い合わせました。答はやはり「なし」。
ただし、「駐車(輪)場は市役所の管轄になっていますから、そちらに届けた方がいいですよ。電話番号は…………」
9.あわてて市役所の「遺失物管轄」へ電話。「届いてますよ!」
10.只今大事なキーホルダーを受け取った次第です。(16:30)
損害は錠前のカギわっぱだけですみました。スペアがありますのでこれはなんでもないのですが、OKストアからスーパーダイエーまで2`、動かぬ自転車を引きずる運動量はそれほどでないにしても、悲惨な気持ちを察してください。
それより、キーホルダーは大事な家のカギと一緒。それが戻ったので、胸をなで下ろしました。
師走お粗末の一席、ごめん。

この写真はそれより相当前に撮ったもの。
買い物カゴに入っているのが上記のわっぱカギです。
後ろが愛車の赤いXトレイルで、昨年10月にお別れ。
以降ペーパードライバーであります。
Xトレイルのトランクに入ることで重宝した
この折りたたみ式愛車≠烽「まはなし。
大型チャリンコに乗っています。
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2008.02.09 Aさんお世話様でした。
昨日、国際交流部会主催のサウジアラビア大使館見学に参加させていただきました。
いい気分で帰りましたことを報告し、幾つか感想を述べます。
1.日本はこの国に30%近くの原油を依存しているのですね。そんな重要な国についてぼくの知識はどれほど? 本当、心許ないことを自覚させられました。新しい発見がいくつもあって、豊かな気分になりました。
お計らいにより大使館を訪問するだけで、耳新しく目にも興味満載の情報が向こうから入ってくるのですから、ありがたい話です。
乾燥ナツメヤシ3つ、アラビアコーヒー3杯、アラビア料理の数々……、異文化の面白みを口からもいただきました。
サウジアラビアは「王国」ですよね。その意味するところを自分なりに少しは理解したかな、という気にもなりました。
ビデオもスライドもわかりやすく、さらに清水女史(大使館)の説明がよかった。
2.帰って地図を広げました。まさかりの形をしたアラビア半島に位置しているまではいいとして、境を接する国々や周辺諸国との複雑な入り組み様……、ここでも異文化の地勢を見せつけられた感がします。
同国までは香港から直行便があるとか。が、ぼくが訪れる可能性は少ないでしょう。だから昨日の見学は貴重でした。
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3.行き帰りと昼食時の会員間交流もぼくには収穫でした。楽しい仲間が増えました。旅行、ジャズ、クラシック、サイクリング、海外生活……、趣味や諸々の話に花が咲きました。 |
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2008.04.01 先日行われた順天堂大学医療看護学部の学生たちとの交流会の模様を、学生お一人お一人の感想文を通して詳細知ることができました。半世紀後輩、孫にもあたる年頃ですね!
おまとめになったy准教授に感謝、演壇に立たれた会員代表の方々お疲れさま、B副会長はじめ世話役の皆さま、ありがとうございました。
400字詰め原稿用紙にして130枚の大部、小冊子一冊分ですね。
合い間合い間であったにせよ、じっくり読み終えました。最終ページまでぐいぐい読ませる力がありました。正直、熱気を感じました。
学生たちの鏡をとおして、ぼくも「AAネットに入会してよかった」との思いをいたし、また、「鏡そのもの」にも強い好感を覚え、学生たちに幸あれの気持ちになりました。
彼らの心温まる表現の数々もぼくを驚かせました。途中から幾つかメモしたのをあげますと、
*お年寄りの方々と私たちの間には、分からないことがたくさんある、というイメージをずっと持っていましたが、あまり変わらないんだなと感じました。
*感謝の気持ちと幸せを運ぶ笑顔を忘れないようにしたい。
*その時の自分だからこそできる何かを見つけていければいいなあ。
*私も料理を作れる男の人と結婚したい。
*今ここでさらなる成長をめざし、社会貢献をするAAネットの皆さまに拍手!!
*元気は気持ちから。
*元気、永遠の20代、活気、知性。 |
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2008.04.04 |
Cさん、伊勢へ行かれたそうですね。楽しまれ、さまざまの思いをいたされたご様子が伝わりました。
貴兄の文を借りて、ぼくなりに気づいたことや連想を下記します。
●五十鈴川の清流が、「いすゞ自動車」の社名の由来であることをはじめて知った。
<ぼくも知らなかった。そうですか!>
●外宮は豊受大神宮といい衣食住の神様で、浦安の豊受神社は、その末寺であるそうです。
<知らなかった。そうですか!>
●昭和35年に受験で上京した折、旅館は浪人生と相部屋。彼の実家は四日市で織物工場を経営していたが、前年の伊勢湾台風で工場は全壊流失したとの話でした。
<ぼくは伊勢湾台風の年に、故郷新宮で一年浪人していました。ぼくの町でも台風は荒れ狂い、家屋が次々と海へ流されていった……、いまも目に焼き付いています。ぼくも昭和35年の入学です。>
●伊勢神宮の式年遷宮(しきねんせんぐう)
<芭蕉は「おくのほそ道」のあと、伊勢へ向かったそうですね。
その様子を、ぼくなりに書いたのを披露したくなりました。
…………
元禄二年は、21年ごとに行われる伊勢神宮の遷宮の年にあたり、内宮は9月10日、外宮は同13日になっていた。
芭蕉はぜひそれを拝みたいと思い、曽良と路通を伴って大垣を発った。
「拙者も寛々(ゆるゆる)遷宮参拝、大悦に存候」(木因宛ての手紙)と、宿願を果たしたことを喜んでいる。
ただし12日到着のため、「内宮は事納まりて、外宮の遷宮拝み侍りて」と、内宮の遷宮には間に合わなかったようだ。
尊さに皆おしあひぬ御遷宮 (芭蕉) >

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2008.04.05
見明川沿いを歩きました。
Dさんがお書きになった「自宅近くの見明川の桜も今朝あたりから散り始めております。毎年変わらずひと時の楽しみを残してくれます」のとおり、
『達磨さん、こっちゃ向きゃんせ世の中は、月雪花に酒と三味線』いまいずこ。
あわれ、ソメイヨシノのトンネルは、夜半の嵐でサヨナラのようですね。

千葉ロッテのファンらしきおっさん≠ノ出会いました。
「5位をさまよっているようじゃ〜ね。どげんかせんと……」
来週あたり、球場へ行ってMr.バレンタインにカツ!≠入れる、と息巻いていました。

これなんでしょう?
先日観桜ウォーキングのみなさんと新宿御苑で昼食。そのとき話したんですけどねえ……、Eさん。 教えてやって!
ヒント:6年前の4月に、高遠で撮りました。

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2008.04.07
「文化・レクリエーション部会」のホームページを作りました(会員のみ公開)。
取りあえず、先日の「観桜ウォーキング」と、昨年7月の「佐倉散策」を掲載しています。
ヤタケタ作業(熊野の方言? 取り急ぎの意)につき、間違いや誤字脱字が多いでしょうが、拙速居士ということで。
会員ページでメニュー一番下の「文・レク」をクリックすれば、現れるはずです。
今後、逐次追加していくつもりです。詳細は「催し」に記載。 |
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2008.05.03 黒澤明ファンのみなさんは、既に全作品またはほとんど、または幾本かを見ておられるでしょうね。
ぼくもほとんどを見ています。それでも何度も見たい……そんな作品が幾つもありますし、第一、黒澤、興味尽きないですね。そこで、
NHK衛星第二が本日からいつまでか、どこかの時間帯で「黒澤明の特集」を続けるようです。
ぼくは、昼間テレビを見る気にはなれず、夜8時には落語を聞きながら就寝。
ですので、ハードディスクにいったん録画して、徐々に見ようと考えています。
今朝の新聞情報(1週間分)では、次のとおりです。(いずれもNHK衛星第二)
5月3日(土) 21:00 椿三十郎
4日(日) 14:50ー18:00 黒澤明とその時代
5日(月) 13:00ー18:00 黒澤明の世界 21:15 野良犬
6日(火) 21:15 姿三四郎
7日(水) 21:15 続姿三四郎
8日(木) 21:15 一番美しく
9日(金) 21:15 虎の尾を踏む男達……トラキチ必見!
10日(土) 21:15 わが青春に悔なし
〔蛇足〕
先日たまたまテレビで橋本忍の特集を見て、彼の著作「複眼の映像ー私と黒澤明」(文藝春秋)を注文しました。彼が脚本家として黒澤作品に深く関わっていることはご承知のとおりです。(羅生門、生きる、七人の侍、生きものの記録、蜘蛛の巣城、隠し砦の三悪人、悪い奴ほどよく眠る、どですかでん)
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2008.07.02 「エジプト・トルコ13日間」の旅を終え、写真の整理だけで2週間かかりました。これから1ヶ月ほどは紀行文にどっぷり浸かります。
その膨大な写真集を「見て見て」でしたから、ご覧になられた方、恐縮! うんざりされたでしょう。
Fさんから貴重な私信を賜りました。
「政教分離を憲法で定めた建国の父、ケマル・アタチュルクのトルコもイスラム政権が誕生、長年の懸案EUへの加入の道程は遠くなりそうですね。アジアとヨーロッパを分けるボスポラス海峡の第2吊橋は石川島で完成し、列車専用の海底トンネルは大成建設が建設すると現地のガイドが言っていましたが、近々繋がるとの報道をNHKがしておりました。鉄のブロック(130m)を次々に海底に沈め接続する建設技術は日本の十八番だとの話を大分以前香港で聞きました。現地の住民は末永く自慢話にすることでしょう。」
極東の島国日本が、ヨーロッパ大陸に接し時差が7時間というトルコと、いろいろ繋がっているのですね。それを知らないまま訪れて、恥ずかしくなりました。
ボスポラス海峡での日本の協力については、ガイドのナジさんが深々と頭を下げていましたし、日露戦争のとき、トルコがロシアに嫌がらせをした、そのくだりのときは自慢顔。
車中では、その日(6月9日)のトルコの新聞記事を見せて、「エルトゥールル号遭難事件」を語りました。ウィキペディアはこう記しています。
「明治23年、トルコの軍艦エルトゥールル号が、和歌山県串本沖で遭難した事件。この事件は、日本とトルコの友好関係の起点として記憶されている。
現在、和歌山県串本町の樫野崎灯台そばには、エルトゥールル号遭難慰霊碑が立つ。また、町と在日本トルコ大使館の共催による慰霊祭も5年ごとに行われている。」
ぼくは串本の近く(新宮市)で生まれ育ちましたが、この事件は「聞いたような気がする」程度、そんな意識レベル。
トルコ人の日本への好意を深く感じる旅でありました。
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2008.08.29
Gさん、「日本の映像100年の歴史、全33巻」(DVD)の情報感謝。
ぼくの故郷だけかも知れませんが、高校で歴史、とくに日本の明治以降と世界史を教えてくれませんでした(世界史は漫談に終始した教師の責任かも知れなせんが……)。
大学受験は日本史と人文地理を選択したのですが、日本史は江戸時代以前の出題で助かったような記憶があります。
先だってNHK・BSで半藤一利氏の1時間半インタビューがあり、テーマは昭和史でした。見応えがありました。
「坂の上の雲」(司馬遼太郎)は数年前に読んだのですが、ようよう読み終えたというのが正直なところでしたので。
話は飛躍しますが、先月エジプト・トルコを旅して、自分の歴史認識(とくに近代史)の疎さにいらだちました。どの外国を旅してもそうです。かといって今更肩のこる本で世界史! どだい無理です。その意味でも上記のDVDは助けになりそう。オンザロックでも飲みながら、33巻とも見るぞ!
2008.09.24 Gさんが紹介されたDVD「日本の記録」(映像100年史)を、中央図書館の視聴覚ライブラリー(2階)で借りて楽しんでいます。
1901年から2000年までの100年間の記録で、全33巻です。ぼくは昨夜で18巻を見終わったところです。
この第18巻(1959−1960)がぼくには特別でした。
その2年間にいろんな事件が起きています。ぼく自身はっきり覚えているのや、思い出されるのや、楽しいのや、痛ましいのや、腹が立つのや、ジンとくるのや…………
1959年
皇太子ご成婚とミッチーブーム、児島さんミスユニバース、社会党分裂、三池争議、天覧試合、伊勢湾台風、水俣病、生きていたタロ・ジロ……。
1960年
日米安保改定と反対運動(樺さんの死)、アイゼンハワー大統領訪日の取消、岸総理の退陣、ダッコちゃん大流行、ローマ・オリンピック、北炭夕張事故、チリ地震津波、米大統領にケネディ氏、岩戸景気、浩宮様ご誕生、トランジスタ・テレビの新発売とカラーテレビ放送開始、浅沼社会党委員長刺殺さる、池田勇人内閣……。
1959年はぼくが1年間故郷和歌山県新宮で浪人をかこっていた年です。もう1年浪人すれば弟と一緒に受験する羽目になる、との焦りもかすめながら。伊勢湾台風で、海岸の家並みが海にさらわれるのを見た、ただ眺めるだけで手の施しようがない……思い出すなあ。
1960年は晴れて大学入学を果たし、酒・タバコを口にしはじめ、歌声喫茶に通い、安保闘争でホースの水を浴びせられたり…………
なんにせよ、ぼくにとっては一つの節目で、半世紀前。芭蕉じゃないですが、DVDを見ながら、「さまざまの事」を思い出しました。
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2008.09.09 今日はまさに馬肥ゆる天気。柿の季節もすぐそこですね!
どなたかの麻雀の話を読んでいて、あの頃が懐かしくなりました。
大学4年間は本当に無為徒食だったのですが、一つだけ熱中したのが「麻雀」でした。練馬区中村橋の友だち宅、思い出すなあ。面子要員ということでしょっちゅう泊まらせてもらいました。ご家族揃って雀キチ。おかげでぼくも随分上達しました。
卒業即入社したD製鋼では、工場勤務の数年間も、本社時代も、東京支社で営業の時も、雀友と雀荘によく通ったものです。時にはえらいさんの腰巾着で、料亭へお供しては美酒美食つきで。
そのうちニューヨーク駐在になったのですが、牌(パイ)一式を携えたのはいうまでもありません。
テツマンね、入社してからもよくやったなあ。シケモク……タバコは四十手前でサヨナラしましたが、当時は「いこい」「しんせい」「ハイライト」でしたか、日に3箱(60本!)吸っていました。上司に「オマエは会社へタバコを吸いに来るのか」などと一喝されながら。
盲パイは今も大丈夫だと思っているのですが、数え方はどうかな? 「ニーヨン、ヨンパー、クンロク、イックニ、ザンパースー、ナナナナ、マンシュー」「ザンニ、ロクヨン、イチニッパー、ニゴロ、ゴイチニー、マンシュー」「ザブロク、ナナニ、イッチョンチョン、ニッパッパー、ゴナロ、マンシュー」…………
今はなき手マメをこしらえた手動のパチンコと同じで、パイは4人でかき混ぜてそれぞれが二段に積み上げていた時代……懐かしいですね。
さて、麻雀にまつわるほろ苦い経験二つ。
一つは大学2年の時。今でも首を傾げているのですが、s君に見事なしてやられ方をしました。
午前中の授業のあと(だったかな?)、いつもの雀荘でチャーハンをパクつきながら、s君が起家(チーチャー)でした。彼、突然複雑な顔になって配パイをジッと見ながら、やおら一枚積もって、それ≠間違いなしと確かめて、配パイを開き、静かに「ツモ!」。
開いた14枚のパイはきれいな七対子(チートイ)でした。そして役満の天和(テンホー)。
三人はあっけにとられながら、「まさか」としか声が出ません。彼は同期のだれもが一目をおく天才雀士で、手先もすこぶる器用でしたが、それにしても…………
50年近くも前のことです。今も会えば、ぼくの方から(疑いと憧憬の眼差しで)話題にしています。

もう一つはD製鋼に入社して、何年目だったかなあ? 鋳鍛造専門の築地工場(名古屋市港区)で、鋳鋼品の生産工程を担当していたときでした。……『誇り(埃)の鋳造と自信(地震)の鍛造』
例によって終業後、工場正門から道を隔てた近くの雀荘へ。多分いつものように朝方までやって、あとは工場に戻って応接室で仮眠。これも40年ほど前の話につき、曖昧模糊はご寛容のほどを。
その夜、同僚のk君がとんでもないことをやらかしました。ぼくがチュン(中)を振ると、かすれた声で「ロン!」。
開いたのを見ると、大三元・字一色(ツーイーソー)ではないですか! まさにダブ役(ダブル役満)。ぼくは青くなりながら、頼りない知識で「ダブ役だけど、支払いは役満分でいいんだろ?」
彼、「冗談じゃない。ダブ役は2倍だよ!」 あとの二人も「オマエ往生際よくないぞ! 早く払えよ……、といってもハコテンか」
そんなことでその場はk君の軍門に下らざるを得ませんでした。
築地工場長は音に聞こえた雀キチ。でっぷり太って布袋様さながらで、酒も好きでした。癖のある部下を重用していたような……。だからぼくはダメだったのかなあ。
課長・次長連中で麻雀が不得手なものは築地工場を離れなければ昇進の目はないといわれていた、これ本当の話。
翌日、その話が口コミよろしく工場長に伝わったからタダではすまされません。えらいさんおそろいの幹部会食室に4人が呼び出されました。昼食後の特別重要議題の証言者として。
k君の自慢顔と憤まんやるかたないぼく。工場長は二人をためつすがめつ、事情・言い分をもう一度話させます。
「ダブ役はダブ役だが、支払いまで倍額というルールはあったのかなあ?」
さすが工場長、ぼくは勢いづき、k君は口をへの字にし、並び大名はドミノ倒しのようにうなずきの波を打ちます。
「麻雀協会へ電話しなさい。結果は直ちに報告のこと」が結論。
麻雀協会の答は「私ども協会が主催のときは、アガリは常に一つの手によることにしています。ダブル役満は認めていません。従ってこの場合は、どちらかの一手を宣言してアガリということになります。どっちみち役満に変わりはありませんが……。ただし、みなさんでおやりになるときは、ローカル・ルール優先ということにしています……」
「君はアンラッキーということだな」慰めともつかない工場長のひと声で不幸な結末になったのであります。
いつだったかなあ、麻雀と縁を切ったのは?
もうやる気はありませんが、そんな場がありましたら、見学させてください。「カケとかなんとか」にまるきり興味のない、弱き子羊より。
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2008.09.15 「電脳教室」を楽しませていただいています。
学んでも右から左なんですが、一つだけ恐る恐る試してみました。 大きな画像・写真を好きなサイズに縮小できるソフト「縮専」です。
こういった画像処理は「ペイントショップ・プロ」という有料ソフトを利用しているのですが、今回(一碧会展)のサイズ縮小処理は「縮専」を使いました。全ての写真を横400ピクセルに縮小してあります。
高校同期のs君が属するグループの絵画展の模様です。銀座で行われていて、一昨日行ってきました。下の文章は、同期連中へのお知らせです。ご参考まで。
…………
この13日にs君が所属する「一碧会」の展覧会に出向きました。
元気なシニア仲間の絵画展で、まこと若さあふれる作品群でした。
彼は4作品を展示。フランスの風景2点と、母の日の子供たちからのプレゼント、それにヌード。
ぼくは絵に関する眼力がありませんのでなんですが、なかなかの実力と素養と見受けました。(某日@某所「一碧会展2008」) |
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2008.09.18 トラキチはよく聞くのですが、カキキチは?
3日間小旅行をしている間に、近くのスーパーに異変!
西村柿(奈良)と種なし柿(和歌山)が店頭で微笑んでいるではないですか。
とるものも取りあえず両方とも一袋購入。
思ったとおり、甘い! うまい!
これだけ猛暑の残した実りですから、予想は的中。
年末まで、ぼくは楽しいのです。
…………
(今日もジュクジュクの富有柿と富士柿、それに信州のつるし柿を買いました。つるし柿はスコッチ・オンザロックの供として……。そろそろ柿とも来年秋まで「So
long.(サヨナラ)」か! 2008.12.16) |
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2008.11.09 今日は一日中雨のようですね。
11月例会でのIさんのスピーチ、面白かった。ひとつ……引っかかって、昨夜から止みそうにない雨空同様に悶々が続いています。
答を教えてください。資料3ページ「怖いぐらいに通じる英会話」での6つの謎かけ。
夜っぴて考えた結果、ぼくの答案はこうです。
1.イカのメ…………
economy 2.ぺくちょ………… picture 3.わら………… water
4.かんぴゅーろ………… computer 5.エナネツ…………internet
6.あほみたい…………formidable ?
6番ははっきり間違いでしょう。1〜5はどうかな?
…………
そして数時間後にIさんから返事。
「1〜5」は正解の模様。6番は案の定間違い。
…………
白状しますと、女房(もそうだったかなあ)以外には一切モテナカッタせいでしょうか。6番の「あほみたい」がHold
me tight≠ニは! ぼくが思いつくはずはないですよね。
今日は昼から郷土資料館で「浦安に関する特別展」見学、と決め込んでいたのですが……、あいにくこの雨ではカッパ着て自転車こぐのもなんだし……(それでも車を手放したことに悔いはありませんヨ)。
そんなときはどうするかって? 結構あるんですよ、やることが。
DVD「映像記録100年史、日本の記録」33巻は今日で見終わりです。
『山歩き』の文章を少しいじくりましたので、再朗読中であります。全部で何十時間になるかなあ。47話ですから。今年いっぱいはかかりそうです。一回1時間の録音を果たすのに、2時間はかけてやっているもんで。
図書館で黒澤とヒッチコックのDVDを借りていますし。
夜は巨人・西武戦。8時には寝ちゃうけど。
……けっこう忙しいのであります! 女房? この雨の中でご苦労にも、明海クラブでテニスに夢中なんじゃないかなあ。 |
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2008.11.15 今度はぼくから、みなさんに謎かけです。
ある海外の旅で、これらの言葉で重宝しました。日本語そのままに言えばいいのです。ただしその言葉が役立つところでね。
1.丼でん(どんぶりでん)
2.十九番(じゅうきゅうばん)
3.ナスくれたの
4.あの/ね(「あの」と「ね」は反対の言葉)
5.ちょっと待って(ちょとまーて、と発音すれば100%通じます)
さて、どこの国の言葉? そのときの感想を紀行文にこう記しています。
「これらの言葉を発するとき、アイコンタクトを忘れてはならない。相手の目を見、微笑みながら、大きめに声を出す。そうやってみた。例外なく通じた。相手も微笑みながらあいさつを返してくれた。
相手の言葉で話そうとする気持ちは以心伝心するようだ。いまさらながら納得した。 」
お解りになります? 少なくともEnglishではないですよ、ね。
(雑記帳第40話「東欧紀行2003」のPart5を見られたし)。

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2008.11.15
Jさん、AAネットのみなさん
R25(無料月刊誌ですか?)掲載の「神社ベスト5」に、わが故郷の『熊野様』(熊野三山)が入っているようですので、しゃしゃり出たくなりました。
以下は昨年夏に熊野古道を歩いたときの小文です。
(熊野三山は熊野川上流の本宮大社と、那智の滝の那智大社と、ふる里新宮の速玉大社の三社を指します)。みなさん、一度は行ってほしヨ。ちょっとトイ(遠い)けどノ。
…………
「ここ熊野本宮大社を総本山として、『熊野神社』が全国に三千八百余り分布しているそうである。県別にベストテンをあげると、
千葉 268 |
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熊本 158 |
福島 235 |
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新潟 148 |
愛知 209 |
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山形 142 |
栃木 182 |
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宮城 133 |
岩手 176 |
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埼玉 111 |
関ヶ原より東が多く、近県がない。因みに、和歌山県が17位で87社、三重県が26位で59社、奈良県は40位で28社。
沖縄県が一番少ないが、それでも8社分布している。東京都には70社あるそうだ。
本宮大社をはじめ熊野三山に共通する特性は、『神仏習合、身分や男女の差別をしない、誰でも自由に出入りができる』、だそうである。
」(小話集第36話「奈良・熊野・伊勢」)
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2008.12.03
「心の健康部会」12月例会が昨日夕刻に催されました。
例会は前座がぼくの30分スピーチで、あとはK先生のお話。全てが終わって、忘年懇親会。
まばゆい三十二の瞳が見つめるなかで、「ながら音楽と寝床寄席」というけったいな題名のスピーチをやらかしました。マイクなしのどら声が、さぞかし三十二の鼓膜を痛めたことでしょう。
それでもみなさん、温かい励ましとお世辞。こうしたことに弱いぼくのこととて、ホームページで再現することにしました。ご覧あれ、お聴きあれ。(「小話集」に第38話として掲載中)。
2008.12.05 Lさん、みなさん、こんにちは。
「心の健康部会」12月例会での30分スピーチを「中高年の元気!」に再現し、よせばいいのに、尾瀬燧ヶ岳に登ったときの紀行文の「快眠コンサート」のくだりを最後部に貼り付けました。
これを聴いていただけたようで、まことに幸せです。
昔友人が咽喉ガンで声を失ったことも動機の一つで、朗読を7,8年前から続けています(あきて、アホらしくなって、中断したときも相当期間あるのですが……)。
あの時のわが声はどうだったか、それを残すのが主目的ですから、歌にも・浪花節にも・香具師(やし)の口上にも、それなりに挑戦しています。
当初は家内に「気が狂った」と勘違いされたり、今も親族には評判よくないのですが。
落語好きのご主人(この春ご他界)に聴かせて大笑いさせたかったなあ。それとも、「アホなことは止めなさい」と眉間にしわを寄せられるかなあ。

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2008.12.07 12月例会での自己紹介スピーチですが、中途半端どころか、Mさんの考え方・生き方を直接・簡明にうかがえたと思っているのはぼくだけでしょうか?
無原稿で「その場で思いついたこと」を話されたからこそ、ぼくには何かが通じたような気がするのですが……。
OHPやパワーポイントは諸刃の刃だと思っています。
「語り手」の言わんとするところを、スクリーンが強力かつ説得力を持って(?)語ってくれます。
その間、ぼくの場合は「語り手」よりもスクリーンを見つめています。したがって、ぼくは、ときどき、スクリーンの姿のほうを生身の「語り手」よりももっと強く受け止めてしまっているのではないか、との恐れを抱くときがあります。
その意味で、スクリーンなし故に、ぼくにはMさんの一面に接することができたようで、いいスピーチだったと喜んでいます。
決してOHPやパワーポイントを悪くいうわけではありません。大いに文明の利器を活用すべきです。が、所詮プレゼンテーションの道具でもありますね。
ぼくのような「あがり症」には強力な助っ人ですが、「あがってズッコケル」自分が失われるのも寂しいなあ、と思う今日この頃であります。 |
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「ぼくのAAネット2008」おわり |
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