Part1 奥日光まで Part1朗読(3'26") on

 大菩薩峠以来1ヶ月近く歩いていない。小さん十八番(おはこ)の”試し酒”ではないが、翌日の山行に備えて浦安海岸へ歩いた。ゆっくり往復2時間、トレーニングにふさわしい距離である。
 夕方の海は黒みがかって騒がしい。無数の細かいうねりがあちこちに白波を立てている。
「ザワ、ザワ、ザワー。ザブーン、ドーン、ドブーン……」
 波は堤防のトライポッドに休みなく、規則的に打ち寄せる。飛び魚? 何の魚だろうか、近くで遠くで飛び跳ねている。
 沖合いではタンカーや貨物船が東京湾を東へ、何隻も続いている。
 茜(あかね)の空を鳥の群れが西へ向かっている。夕日は浦安南高校の校舎に沈むところだった。

浦安海岸の夕陽

 1999年10月10日。
 5時前はまだ夜だ。涼しい風が頬をなでる。何十個も星が瞬(またた)いている。通りは街灯でほどほどに明るい。東西線浦安駅まで徒歩45分。歩くにつれてさわやかに朝が明ける。

 ひとつ先の葛西駅で乗車した客が話し掛けてきた。小さなリュックに杖を手にしている。
「山ですか?」
 ぼくの服装を見ながら微笑む。
「奥日光です」とぼく。思わず声がはずんでしまう。
「じゃ、戦場ヶ原でしょう。いま、最高だから」
「…………!」
 彼は高尾山という。
「来年の春までは月2回高尾山ですよ。この夏は槍と穂高に登りました」こともなげだ。
 日本橋までほんの数駅だが、問わず語りに笑顔を絶やさず話してくれた。
「1909年生まれですから、80になります」
 別れ際にそう言った。

10月10日(
7:00 東武浅草駅(快速) ⇒ 東武日光駅(バス) ⇒ 菖蒲ヶ浜 ⇒ 竜頭ノ滝  昼食 (12:30)
13:00 竜頭ノ滝上 ⇒ 戦場ヶ原自然研究路 ⇒ 泉門池 ⇒ 小田代橋 ⇒ 光徳牧場 ⇒ 光徳温泉日光アストリアホテル泊
10月11日(月)
8:20 日光アストリアホテル ⇒ 山王見晴し ⇒ 涸沼 ⇒ 切込湖 ⇒ 刈込湖 11:15 (昼食)
12:00 刈込湖 ⇒ 小峠(1,672m) ⇒ 湯元(バス) ⇒ 東武日光駅(快速) ⇒ 東武浅草駅 19:03

 体育の日を挟んだ3連休の2日目である。予報も「秋晴れ」。7時東武浅草駅発の『日光行快速』は超満員だった。ぼくたち9人とも30分前から並んだが、ずっと立ち席……。

 9:12、東武日光駅着。
 駅前から湯元温泉行きのバスも最高に混雑していた。臨時バスを何台も増発していて、かろうじて5台目に乗ることができた。

東武日光駅

 ”いろは坂”もその先も激しい渋滞だった。普段なら30分そこそこの距離が、菖蒲ヶ浜で下車したときは11:30。2時間以上バスの中だった。

 ”苦あれば楽”の喩(たとえ)。バス停すぐそこの竜頭ノ滝からのどかなハイキングを楽しむことになる。
 渋滞のおかげで少し予定を変更したが、二日間、戦場ヶ原から切込湖・刈込湖にかけて、紅葉の景色、値千両を満喫できた。

涸沼
涸沼にて (1999.10.11)
Part1朗読(3'26") on

Part2 戦場ヶ原 Part2朗読(11'06") on

 竜頭(りゅうず)ノ滝はごった返していた。
 竜頭と名が付くだけあって、高さ200mの急勾配を転げ落ちる怒涛は豪快である。その昔、男体山の噴火でできた溶岩壁。戦場ヶ原の上流から中禅寺湖に向かって流れる地獄川がここで一気に勢いを増して落下する。
 折りしも豊富な水量が滝のてっぺんからドドドーンと、巨大ドラム缶を次から次へひっくり返したようになって、水飛沫(しぶき)が観瀑台まで吹き上げていた。

竜頭(りゅうず)ノ滝

 12:30 昼食。
 竜頭ノ滝を横から眺められるところに格好の広っぱがあった。シートを広げて弁当を出す。昨夜念入りに作った小さめのおにぎりは具の味がほどよく沁みていた。4個すべて胃袋に消えた。

 カラマツ、ミズナラの自然林に入る。小径は左右ニッコウザサに覆われて、しょっぱなから気分を和ませてくれる。観光客の人いきれもこの手前で切れていた。ここから自然林の森林浴と山々に囲まれた湿原を堪能することになる。戦場ヶ原だ。

 秋晴れに感謝しなければならない。乾いた湿原に渡された木道を歩きながら見晴るかす山々。西は日光白根山(2,577.6m)、北に三ツ岳(1,944.8m)、東側は太郎山(2,367.5m)、小真名子山(2,322.9m)、大真名子山(2,375.4m)、男体山(2,225m)。いずれも黄ばんで、点々と橙(だいだい)や朱色が混じっている。

男体山
正面は男体山

 この戦場ヶ原。男体山の噴火によってできた湖に土砂や植物が堆積した湿原、ということであるが……、物識り博士によれば、名前の由来はこうだ。

 『昔々、赤城山の神(大百足)と男体山の神(大蛇)の戦(いくさ)があった。その大激戦の場が戦場ヶ原であり、赤城山の百足軍が破れて、哀れ胴を切られ、足を刈って投げ込まれたところが切込湖と刈込湖』

 ”草紅葉(くさもみじ)”。恥ずかしいが、名前すら馴染みがなかった。
 確かに戦場ヶ原は初夏から秋にかけての花々、レンゲツツジ、ワタスゲ、アキノキリンソウ、ワレモコウ、……色とりどりに代わって、一面赤みがかった黄色の世界だった。

 渋滞で遅れた分、小田代原をスキップした。草紅葉に囲まれた『貴婦人』の観賞も次の機会に譲ることにして。

 小田代橋から湯滝へ向かって木道を少し歩くと錆色の小川があった。流れは真水だが、川底は赤茶けている。標札に『赤い川』……説明文は”溶岩流……、鉄分云々”。

 『赤い川』で、映画の”赤い河 (Red River)”を連想した。
 先日ビデオで見たところだ。いい映画だった。モノ黒の西部劇で、1948年の作品。

監督 Howard Hawks
出演 John Wayne, Montgomery Clift, Walter Brennan, Joanne Dru, ---
音楽 Dimitri Tiomkin

赤い河 後の西部劇名作 ”リオ・ブラボー (Rio Bravo)” と、監督もスタッフもキャストも、ほとんど同じ顔ぶれだ。
 リオ・ブラボー≠ナは、Montgomery CliftがRicky Nelsonに代わり、Dean Martinが加わり、Joanne DruがAngie Dickinsonに代わっている。
 音楽はどちらもDimitri Tiomkin。物語はまるで違っているが、どちらも文句なし。

 ”リオ・ブラボー”の音楽は”赤い河”を下敷きにしていたのだ。大好きな”ライフルと愛馬(My Rifle, My Pony, and Me)”は”赤い河”で使われた音楽だった。こちらものどかなシーンや哀愁あふれるところで流れた。

 『赤い川』を見ながら、そのことを思い出した。涸れた湿原は映画”赤い河”や”リオ・ブラボー”の荒原に似てなくもない。木道を歩きながら”ライフルと愛馬”をハミングした。

♪♪♪
The sun is sinkin' in the west.
The cattle go down to the stream.
The red wing settles in the nest.
It's time for a cowboy to dream.
…………
♪♪♪

 そこから40分ほど草紅葉の木道を歩くと池が見えた。泉門(いずみやど)池という。

泉門(いずみやど)池

 水面は、ミズナラやズミの樹影と水中植物の漂いが混じり合って芸術的な色彩コントラストを呈している。この池、戦場ヶ原がその昔湖だったことを示すそうである。

 近づくにつれてますます瀑音に臨場感が加わった。その音はかなり遠くで聞こえはじめたものであった。

湯滝

 三ツ岳の噴火によって生まれた湯ノ湖から湯川への流れがいきなり怒涛の勢いで落ちる。それが湯滝(ゆだき)だ。
 落差70m、豊富な水量が岩盤に砕け散りながら激しく落ちるさまは凄みがある。”名瀑の多い日光でも有数の滝”といわれる所以だ。昼食前の竜頭ノ滝よりさらに豪快であった。
 観瀑台は登山姿ばかりだ。竜頭ノ滝に比べまばらだった。

 湯滝から光徳牧場への山道はすぐそれとわかる溶岩道で、いい!
 こんな自然が囲んでいる。カエデ、アスナロ、コメツガ、ダケカンバ、シラカンバ、紅葉の森林浴、草紅葉の湿原。
《幸せだなあ、ぼくは!》
 だれかの科白(せりふ)を思い出した。

 光徳牧場の近くに来て、ある特徴に気づいた。”立枯(たちがれ)”のこと。ここにもあそこにも。1本だけ孤立しているのでなく、何本も何本も。山博士によれば、原因は3つほど考えられる。
 1.火山の噴火による硫黄の仕業
 2.足尾鉱毒
 3.木々の寿命(100−300年)
「寿命じゃないの! あんたより長生きはしてるけどさ」
 ダジャレでオチをつけられた。

 光徳牧場で温かい牛乳とアイスクリームをいただいた。どちらも不思議なほど美味しかった。〆て400円は、金にうるさいぼくを満足させた。

 日光アストリアホテルはすぐそこだった。16:45。
 登山姿にはいささか不似合いの、ちょっとしたホテルだ。フロントは慣れているせいか、いやな顔をしなかった。
 さほどの疲れはないが、露天風呂はありがたい。ゆったり入って青空を眺めていると、すべての緊張が湯舟に消えていた。

 ふかふかの布団は間をおかず快眠に誘う。手足を存分に伸ばして目を閉じた。山と湖と滝の景色が次々とコマ送りされて…………

Part2朗読(11'06") on

Part3 涸沼、切込湖・刈込湖 Part3朗読(14'08") on

 いつぞやこんなことを書いた。
 『山から”ホントウは”を取ってしまったら会話は味気なくなる。とくに山では優れて便利な言葉だ。ただ、これを繰り返すと白けてくるという、困った言葉でもある。
 ”ホントウ”でない現実の景色はいったい? たぶんに”ホントウ”の眺望は現実の”イマ”より格段に優れたものであり、”イマ”はいかに不運な状況か、その悔しい気持ちの発露であるようだ』(奥多摩・御前山、1999.5)

 ”ホントウは”の対極をなす表現はひとつではない。
 ”一番”、”最高”、”絶好”、”初めて”、その他各自のボキャブラリーに応じて、大仰なジェスチャーを交えて発せられる。その状況は間違いなく過去にない絶景であり、自分がいまいかにラッキーであるか、優越感を味わうべき立場にいるか、こみ上げる感情をすぐ仲間に伝えたい、仲間と共有したい、その現れであろう。

 こうしたとき、「そうですか?」と語尾を上げて言葉を返してはならない。絶対的な相づち以外を求めているはずはないのだから。ただ、「スゴーイ!」「ホントー!」「…………!!」高く、強い声で応える。たとえ”一番”と思わなくても。

 今回の奥日光は、『一番!』と叫ぶチャンスを逸した。すべてのシーンで一拍遅れた。どの場所でもみんながわれ先にあらゆる感嘆詞を発してしまったからである。まさに何年に一度あるかなし、名勝奥日光の秋景色で、今日はその真打だ。

奥日光の朝
奥日光の朝 (1999.10.11)

 10月11日(月)、奥日光の2日目。
 8:20、日光アストリアホテルを出発。(標高1,420m)
 光徳牧場を過ぎるとすぐ、ミズナラの林に入る。木漏れ日の山道が延々と続く。シラカンバの白が左右で光っている。溶岩の急坂も見事な自然に目を奪われて、苦にならない。
 が、暑い! これには参った。30分ほど登ったところで全員上着を脱いだ。

 もう少し登るとカラマツ林だ。ダケカンバとシラカンバが入り乱れている。背の高い笹薮を分けて進む。9:30、山王見晴し着。
 さらに30分ほど紅葉のカラマツ林を登って……下りになったと思う瞬間、いろんな感嘆詞が飛び交った。眼下に涸沼(かれぬま)が広がっている。秋には似合わないような強い陽射しを浴びながら、すり鉢状の底へ下り立った。 10:00
 東京ドームをいくつも合わせたような沼跡である。その西側の広っぱに居て、額や首筋の汗を拭きながら四囲を眺める。
 夏のお花畑はとっくに終わり、禿げ禿げの沼跡は草花のモザイク模様。
 遥か彼方、東から南にかけての連山は緑と黄色とワインレッドのパッチワークを呈している。空は雲ひとつない深い秋晴れ。
 賑やかな喜びの声々を聞きながら、しばし時を忘れて景色の懐(ふところ)に吸い込まれた。

涸沼
涸沼の風景

 われに返ると、ここまで紅葉(もみじ)が散ってきている。
『裏を見せ表を見せて散る紅葉』
 知ったかぶりで良寛和尚の句を披露したら、変な駄じゃれで混ぜっ返された。

 涸沼から切込湖への山道は本日のハイライトだった。
 ミズナラとカラマツの林、ニッコウザサ……。紅葉の色彩に包まれて急坂を登る。路は枯葉に厚く敷き詰められて、サクサクと音を立てる。
 
 日光といえば”けばけばしさ”とか”豪華絢爛”を連想していた。奥日光、とくにここは対照的に物静かである。茶の湯か琴の音が似合いそうな落ち着きがある。ほどほどの紅葉もその雰囲気を醸(かも)している。そんなことを思いながら切込湖に向かっていた。
 右前方が開けて、濃く青い色模様。そう、コバルトブルーが下一面に広がった。まるでキャンバスに向かって巨大な絵筆で原色を殴りつけたようだ。
《なんだ、これ!?》
 しばらく唖然として見入った。
 ややあって、その濃い青絵の具の向こうに目をやると、一面まだらの緑。黄ばんでいたり、赤や白い斑点もある。
《こんな景色,初めてだ! しかし、なぜ?》

「切込湖だよ!」会長のN氏がささやく。
《そうだ、切込湖!》
 錯覚から目が覚めた。コバルトブルーはまさに空。湖水向こうの斑(まだら)は紅葉の山。湖面の逆景だった。
「空も山も下にある! なんと豪勢!」
 そうなのだ。湖水の絵模様は、見渡す本物の景色よりも、湖岸の額縁を与えた分、よりきれいであった。

 切込湖がくびれて隣は刈込湖。歩を進めるにつれ、双子の湖が目に見えて変化する。暫らく湖水の絵巻に浸った。
 そして笹藪の下り。下り立つと刈込湖畔だった。

 刈込湖の景色は地味だ。向こうの山も湖水もどこかで出あった景色と変わらない。最前、上から眺めた切込湖の色彩があまりにも強烈過ぎたからかもしれない。その余韻が残っている分、刈込湖にはもったいない話だ。
 ただ天気が抜群だから、静かな湖面と山の紅葉と湖畔でくつろぐ登山客がさわやかな秋を描いていた。

刈込湖 しかしなんと静か、時が止まっている! 昨日の奥日光入口の喧騒とはまったく無縁の世界だ。
 遠くの小鳥のさえずりですら、鮮やかに聞こえてくる。だれかが投げた石ころが「ポチョン」と湖面を揺らせて輪が広がった。女性の感嘆詞もここではささやき声だった。

 この二つの小さな湖。三ツ岳噴火による溶岩で生じた堰止湖だそうである。山の本にもこうあった。

 『西も東も塞がれているので、水の出口はないが、水位は殆んど一定している不思議な湖だ。観光地化している奥日光の中でも、ここだけはとり残されたような静けさが漂っている』

 少し早いが、木陰にシートを広げて昼食にした。 11:15
 ホテルの弁当はおにぎり大判2個。さほど空腹ではないが、日光の米はうまい! おいしく1個いただいた。残りは大事にしまって持ち帰ることにした。

 12:00、刈込湖を後にする。
 木漏れ日射(さ)す自然林を行く。ほどよい暑さはTシャツ姿にちょうどよい。出る汗はそよ風に消えてゆくからぬぐう必要はない。
 この一帯、バードウオッチングの要所らしく、小鳥たちの姿が見えるわけではないが、さえずりが飛び交っている。
 斑(まだら)の林に木々の白が冴えている
「ダケカンバですか? シラカンバですか?」
「違います。コメツガです」
《白塗りの木が他にもあったのだ!》
 陽光に輝くヒロハカツラを見上げて、一気にシャッターを切った。
《ウン!》
 納得したわりには…………

ヒロハカツラ

 刈込湖から40分ほど山を下って湯元に着いた。林の中から下界の集落が見えると同時に硫黄の臭いがぷんとした。下りたら水たまりに乳濁色の湯が吹き出ていた。
 バス停への途中、湯元温泉寺(でら)を通った。鐘を突いている。響きは周辺の自然に同化して、心を和ませるとともに季節の移ろいを伝えていた。

…………………………

 今回も交通費をずい分節約できた。

日光ミニフリーパス
日光ミニフリーパス

 2日間有効のこの切符は、浅草⇔日光の電車、湯元往復のバスを乗り放題で 4,940円。おまけにみやげ物割引券4枚付だ。
 アストリアホテル一泊 17,000円は、「この季節だから、まあまあ」だそうである。昨夜の食事は岩魚(いわな)の一夜干に湯葉三昧(ざんまい)の豪華料理で、ビールと熱燗は飲み放題。おまけに今日、大判おにぎり2個の弁当付……まあよしとするか。

Part3朗読(14'08") on
「戦場ヶ原、切込湖・刈込湖」 おわり
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