1993年秋のある日。
「寒い!」
思わずつぶやいて目が覚めた。まだ11月はじめだというのに……。そろそろ布団も冬用が必要になってきた。目をしょぼつかせながらトイレへ。再び、寝床に潜り込んで時計を見る。4時少し前。外は当然まだ闇。しばらく惰眠をむさぼろうとするが、脳細胞は起きてしまっている。
手探りで台所の電気をつけて、湯を沸かす。コーヒーカップにネスカフェのインスタントを小さじ2杯入れて、湯を注ぎ、クリーマーを加えてかき混ぜる。こぼれないように注意しながらダイニングへ。「苦い!」湯気の芳香とはかくも違うか。夜はまだ明けそうにない。
寝間に置いてあるポケット・ミステリーを取りに行く。こういう中途半端なとき、"ペリー・メイスン"は助っ人だ。
苦いコーヒーをすすりながら、読みかけの「美しい乞食」のページをめくる。
「美しい乞食」(Beautiful Beggar)は、ペリー・メイスン・シリーズ83冊のうち76冊目にあたる。ぼくは学生の頃からE.S.ガードナー・ファンというか、ペリー・メイスンに憧れた。就職後も、海外出張の折りなど、カバンによく1、2冊しのばせた。
この「美しい乞食」は、作者のガードナーが75才(1965年)のときの作品だそうである。
なんと日本の法医学者、古畑種基氏に献呈されている。ガードナーはその5年後に亡くなった。
登場人物はいつものとおり、主人公の弁護士ペリー・ メイスン、秘書デラ・ストリート、私立探偵ポール・ドレイク、警部アーサー・トラッグ、そして憎まれ役だがこのシリーズに欠かせない地方検事ハミルトン・バーガー。
ストーリーは、このシリーズとしては珍しく情的だ。胸動かされるシーンもある反面、犯人探しのスリルは少ない。読みはじめたら止められないのは、他の作品と同じ。
訳者は宇野利泰氏になっている。彼はこれを含めて、ペリー・メイスン・シリーズを17冊訳している。他の16冊については忘れたが、「美しい乞食」に関する限り、トラッグ警部のせりふの言い回しがいささか気になった。
訳者も、登場人物のせりふをつねに統一するのは、このように長期間に亘って何冊も何冊も書かれたシリーズともなると、かなりむずかしいようだ。 |
読み終えると夜が白みかけていた。いつもの通り、最後の数ペー ジまで犯人がわからなかった。
カーテンを開けて、窓も半分ほど開ける。肌寒い空気がいっぺんに部屋に入る。ここはマンション11階、ベランダに出て中庭を見下ろす。ぐるりの舗装道の街路灯がまだ明るい。
正面マンション群のすき間にJR京葉線が見え、電車がライトを照らして走っている。線路のずっと先は海、東京湾だ。まだ墨絵のように茫洋としている。
もう一杯コーヒーを、今度は小さじ1杯にしてお代わりしよう。もうすぐ今日がはじまる。
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《参考1》 気づいたデータ
ペリー・メイスン・シリーズ83冊の題名によく動物の名前が出てくる。
カナリヤ(Canary)、オーム(Parrot)、ツバメ(Swallow)のような小鳥。猫も普通の猫(Cat)と子猫(Kitten)が出てくる。犬はどうかなというと、シリーズでも有名な「吠える犬」(The
Case of the Howling Dog)がある。馬(Horse)も牛(Cow)も、……ゴリラ(Gorilla)まで現れる。
まだある。アヒル(Duck)、ミンク(Mink)、猿(Monkey)、狼(Wolf)、 蚊(Mosquito)。
「黒い金魚」という結構面白いのがあるが、英語名は"The Case of the
Gold-digger's Purse"。 Gold-diggerの意味が「金鉱探し」なのか「美人局(つつもたせ)」なのか、話の内容そのものを忘れてしまった……。
「人魚」は動物に入るのかな? 「なげやりな人魚」(The Case of the Negligent
Nymph)は、ぴちぴちした美人が主役で物語も波乱万丈。面白かった。
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